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「今も昔も、趣味に近い感覚。」 音楽で「食える」までの軌跡とぶれないスタンス【MONEY TALK CASE.01 ヒャダイン(前山田健一)】

MONEY TALK

   「今も昔も、趣味に近い感覚。」 音楽で「食える」までの軌跡とぶれないスタンス【MONEY TALK CASE.01 ヒャダイン(前山田健一)】

関心はあっても、真正面からは聞きづらい誰かの「お金」の話。さまざまな分野において活躍するプロフェッショナルたちに、「お金」を切り口に「人生」を語ってもらう「MONEY TALK」。

記念すべき第一回目のプロフェッショナルは、音楽家のヒャダインこと前山田健一氏。

アイドルからビックアーティスト、アニソンやCM音楽、映画劇伴まで、あらゆるシーンへ楽曲を提供し、作詞・作曲・編曲までを手がける音楽プロデューサーとして時代とリンクしたヒット曲を数多く生み出しながら、自らもアーティストとして活躍。

ニコニコ動画への投稿でその実力を世に放ち注目を集めた2007年から10年以上、日本の音楽シーンに欠かせないクリエイターとして第一線を走り続けながら、最近ではテレビ番組でMCを務めるなど活躍の場を広げている。

そんな彼にも、“音楽でお金を稼ぐことができなかった貧乏時代”があったという。当時を振り返ってもらいながら、それでも音楽を続けた理由、音楽でお金を稼ぎ続けるために意識していることなど、ヒャダイン氏の「お金」と「人生」の話に迫る――。

 

音楽で食べられなかった6年間の貧乏生活

 

―― 少し人生を遡ってお聞きします。ヒャダインさんは、京都大学在学中に就職活動を忘れて(!)、渡米してブロードウェイ・ミュージカルを観劇し、帰国前日に9.11が起きて、その時「音楽家になろう」と決意された。そこから地元・大阪で作曲講座に通った後、上京して、作詞家の先生に師事しながら地道にコンペに応募していたそうですね。その間、どうやってお金を稼ぎ、どんな生活をされていたのですか?

 

当時は、コンペに応募してもまったく反応がなくて、音楽でお金は一切稼げてないですね。ひたすらアルバイトをしていました。日中にバイトでお金を稼いで、夜中に作詞と作曲をして……という生活を送っていましたね。

当時、地元のバイト時代の先輩とシェアして「末広荘」という家賃5万円の築60年ぐらいのボロ屋の1階に住んでいたんですけど、おそらくすべての種類の害虫・害獣が出ました(笑)。ネズミ、ゴキブリ、ナメクジ、ハエ、コバエ……。朝起きるとレトルト食品がネズミに食いちぎられていたり、とりもち(粘着剤)を置いたらそこでネズミがチュウチュウ鳴いていたり……。今考えると、やばいっすね(笑)。でも当時は、一人暮らしはそういうもんだと思ってたんですよ。比較対象がなかったので。

 

 

―― なかなかすごい生活ですね……(苦笑)。たとえば働き始めた大学の同級生と比較して、そういった生活や就職しないことへの焦りとか危機感のようなものは特に抱かなかったんですか?

 

ありがたいことに僕、京大の友だちが一人しかいないので、他の人の状況を知らなかったんですよ。誰かと比べることは、まったくなかったです。ルームシェアしていた先輩も、空のペットボトル300本くらい家に溜め込んでゴミ屋敷の主みたいな人でしたし(笑)。

当時は月15万円で生活していて、家賃と食費・光熱費などの生活費、余ったお金で音源を少しずつ買い足していました。はじめはこんなもんだろう、と当時は何も思わず、ひたすら音楽制作とアルバイトに打ち込んでいましたね。

 

―― どんなアルバイトをされていたんですか?

 

初めは学歴に頼りたくなくて、居酒屋やTSUTAYAでバイトをしていたんですが、9時~17時で肉体労働をすると疲れて作詞作曲をする気力が失われてしまうんです。途中から、時給の高い外資金融で昔で言うところのOLのような仕事、本棚を整理したりFAXを送ったりするバイトをやって、家庭教師を始めました。

家庭教師は肌に合っていて、50人以上は担当しましたね。平日は放課後、16時~18時、19時~21時の2コマ、土日は朝10時~22時まで4コマを回す感じで。交通費を節約するために、チャリンコを激コギして、等々力から押上まで行ったこともあります(笑)。

完全にアルバイトを辞めることができたのが、28、29歳の頃だったので、約6年間はそういう生活をしていましたね。

 

 

―― す、すごい……! 6年間もそうした生活を続けながら音楽に打ち込めることはヒャダインさんの才能のひとつですよね。途中で諦めようと思ったことはなかったですか?

 

今振り返ると絶対に戻りたくないですけど、当時は良くも悪くもまわりがまったく見えてなかったんで、特に何も思わなかったんですよね。ただ音楽が純粋に好きで、音楽作るのが楽しくて、僕にとっては趣味的な、遊んでいる感覚に近いんです。音楽に対するその感覚はいまでも変わらないかもしれないですね。

6年間素振りをし続けて、ようやくついた実力

―― 6年間のアルバイト生活に終止符を打ち、音楽で食べていけるようになったのは、ニコニコ動画への投稿がきっかけですか? 

 

いや、僕、ニコ動でお金儲けは一銭もしていないんです。僕が投稿を始めた2007年当時は、動画投稿でお金を稼ぐことに嫌悪感があったんですよ。僕自身も視聴者も。今はYouTuberがお金を稼ぐことは当たり前の時代ですけど、当時は人気が出てお金を稼ぐようになったら、「なんだ、金のためにやっているのか」と叩かれて活動できなくなるなんてこともあったくらいで。

そもそも僕自身、ニコ動への投稿は、貧乏だからそこでお金を稼ごうとは露ほども思っていなかったですし。

 

 

―― ニコ動へ投稿したきっかけ、その動機はなんだったんですか?

 

23歳頃から約6年間、ひたすら曲をつくり続けてきて、素振りばっかりしていたので、自分の実力はどんなものか、腕試しをしてみたかったんです。その頃には、100曲以上はつくっていたと思います。初めはぐちゃぐちゃでも、素振りを繰り返せばなんとかなるんですよね。その頃には、自分で聴いても形になっているという実感はあったんですが、素振りしかしていないから、自分のフォームが正しいのかどうかわからなくて。ニコ動に投稿してみんなに聴いてもらったら「かっこいいフォームだよ」と言われたんで、自信がつきました。

 

 

―― 6年間の素振りの成果は、いきなりホームランでしたね。それでもなかには否定的な声もあったのでは?

 

ありました、ありました。否定的な声には、2パターンあって、ひとつは根も葉もない悪意。もうひとつは、正しい指摘。根も葉もない悪意は、人間の心理、この人たちはどういう気持ちでこの言葉を書いたのか、嫉妬なのか、暇つぶしなのか、そういったことを考えるいい機会と捉えました。正しい指摘は、自分でも気がついている落ち度を棘のある言葉で刺されるので、痛いんですが、この人たちを納得させるものをつくろう、と次に進む原動力にしていましたね。

 

 

―― その時に、ヒャダインと前山田健一が同一人物であることを公表しなかったのはなぜですか?

 

時期尚早だと思ったんですよ。ヒャダインのプロジェクトはありがたいことに一気に反響があったんですが、そこで前山田健一であることを明かして、仕事をください、というのは違うな、と。刹那的な日銭のために正体をばらして、調子のいいヒャダインというプロジェクトに水を差しては元も子もないな、と思ったんです。

 

―― 実際に同一人物であることを明かさなくても、同時期に音楽業界で作家・前山田健一として、アニメ『ONE PIECE』の主題歌である東方神起の『Share The World』と、倖田來未さんとmisonoさん姉妹のデュエット曲『It’s all Love!』といった2曲のヒット曲を生み出し、注目を浴びるように。6年間素振りをし続けて、実力がついてきたからこそ、その時期が重なるのは必然だったわけですね。

ずっと変わらない、音楽をつくることを楽しむ気持ち

―― 実力が伴って、アーティスト・ヒャダインとしても、作家・前山田健一としても世間から認められるようになって、音楽でお金も稼げるようになって、ご自身に変化はありましたか?

 

 

あんまり変わってないですね。というのも、作詞・作曲の仕事は印税収入で、いつお金が入ってくるかわからないんですよ。リリースしてから6ヶ月後、遅い時は12ヶ月後なんてこともあります。当時、つくった曲がヒットして、これでやっと音楽で食べていけるぞー!!と期待したのに、初めに入ってきた印税は少額で、ちょっとだけ絶望しました。後から二次使用とかで入ってくるんですけど、その時はそのシステムをちゃんと理解してなかったので。

作詞作曲は印税収入で、いつお金になるかわからないし、お金にならない仕事もあったりするので、僕にとっては、あんまり現実味がないんですよね。音楽で稼ぐことができなかった貧乏時代と一緒で、趣味に近い感覚で、楽しいと思っているからやっていて、忘れた頃にお金がついてくる感じです。

たまに、ネット上とかで「ヒャダインが曲書いてて、○○お金積んだんだなー」というコメントを見かけますが、とんでもない。印税でなくてギャランティで受ける編曲をしない限り曲を書いただけでは、僕は一銭ももらえないんで。

 

 

―― 印税収入の場合、ご自身の仕事に対する対価は、売れるかどうかで決まるわけですね。そうなると作詞作曲の仕事を受ける判断基準はどこにあるんですか?

 

作詞作曲の仕事を受けるときの判断基準は2つあって、ひとつは、人気があって確実に売れるアーティストとの仕事。そりゃあ、たくさんの枚数が出る可能性のある人とは一緒やりたいですよ。

もうひとつは、面白いかどうか。お金にならなくても自分が楽しめそうなものはやります。いただいた資料を見たりして、面白そう!と自分の勘が働いたものはお受けします。もちろんその勘が外れることもありますけど(笑)。あとは、そのアーティストさんに会ってみたい、と思う仕事も受けますね。

 

 

―― お金の使い方は変わりましたか? 普段どんなことにお金を使っています? そもそもこんなに多方面で活躍されていてプライベートはあるんでしょうか……。

 

あります、あります。お金の使い方は、多少は変わりましたけど、税理士さんからは使わなさすぎだと言われますね。普段お金を使うのは、服を買ったり、旅行に行ったり……くらいですかね。

お金の使い方が変わったのは、旅行に行った時はケチらずに、旅先価格であっても気前よくいくところです! ヨーロッパとか行くと、ペットボトルの水が2ユーロ、え、240円!?朝食3000円!? とびっくりすることが多いんですが、もう気にしないことにしました。

僕今、37歳なんですけど、自分が稼いたお金を使うのは自分だけ。奥さんと子ども2人とかいてもおかしくない年齢なわけで、そう考えると、自分は75%引きで人生を送れているわけですよ。子どもがいたら単純に4人分を稼ぐという計算では足りないかもしれないですね。8割引で本来使われるべきお金がプールされているので、自然とお金も貯まっていきますよね。

しかも印税収入は不労所得なので、僕、入院ができる人間なんです。働かなくても所得が入ってくる。有吉さんにとある番組で「いいよなー、ミュージシャンは入院できて」と言われて気づいたんですが。

それでも老後はそう簡単にはいかないと思いますね。印税による不労所得も先細りが確定していますし。テレビとかでよく1970年台の懐かしいもの特集とかやっていますけど、ほんの数十年前ですら当時と今のお金の価値が全然違う。僕の貯金も老後には暴落している可能性だってありますから。金にでも替えようかな。

こうやって話していると、僕は何が楽しくて生きているんでしょうね……?(笑)。

 

 

―― ……(笑)。それは、音楽じゃないですか! ヒャダインさんのお話を聞いていると、音楽が純粋に好きだという気持ちが溢れ出ています。好きでなければ、結果が出ないのに6年間も続けられないと思いますよ。

 

たしかに! 僕、ラッキーですね。好きなことをして、お金をもらうことができている。本当に日々思うんですが、こんなに楽しくて趣味みたいなことをして、お金をもらえるなんて夢みたいだな、と。好きなアーティストに楽曲を提供して、歌ってもらって、その姿を見て自分も楽しめて、ファンの人にも喜んでもらえて、お金ももらえる。いい時代に生まれついたなあ。前世で相当徳を積んだのかもしれない。

 

「あの頃の僕」に向けて、曲をつくり続ける

―― いや、運や前世だけではないですよ。ヒャダインさんが大好きな音楽を仕事にして、対価としてお金を得るために意識していることはありますか?

 

それは、ずっとつくり続けることですね。最近は、テレビ番組のMCなどタレントとしてのお仕事をいただく機会も多いんですが、本業である音楽を枯らしてはいけない、と強く思っています。曲を書いていないのに作詞家、作曲家を名乗るのはかっこ悪いですし。

あくまで僕の本業は作家。でんぱ組.incの「破! to the Future」という曲に「泳ぐ or 終了 サメ?サメ?マグロ?マグロ?」という歌詞を書いたんですが、泳ぐか死ぬか、泳げなくなったら、僕は終了してしまうんです。

 

―― これからも音楽をつくり続けていってください。2010年にアーティストであるヒャダインと作家としての前山田健一が同一人物であることを公表していますが、現在もその二軸で活動する理由、こだわりのようなものはありますか?

 

僕のなかでは、ヒャダインも前山田健一も同じなんです。ヒャダインはドラクエからのもらいものですし、作詞作曲の権利者としての名前にはふさわしくないと思うので、前山田健一の名を残しているだけで……。

個人的にはヒャダインを名乗るようになってから人生が楽しくなったので、ヒャダインと呼ばれるほうが好きですね。2013年以降に出来た友だちはみんな「ヒャダインさん」「ヒャダさん」と呼んでくれます。

それまではもう、暗黒時代だったんで。中間一貫校に通って、6年間男子校で、運動も苦手で、友だちづきあいも下手くそで、ダサいわイモいわ。京大でも友だちは一人しかいなかったですし。

「ポケんち」(テレビ東京のポケモン情報バラエティー番組「ポケモンの家あつまる?」)で公開した高校二年生のときの写真が視聴者の子どもたちにウケていて、そのポーズが大流行らしく、暗黒時代を送っていてよかったなあ、と報われました(笑)。

でも本当に、その暗黒時代が今の曲づくりにも活きているかなーとも思いますね。僕が書く曲に勝ち組の視点はないですから。フェスとかで人気のアーティストは最初からキラキラした存在だったと思うんですが、僕にはダサくてイケていない時代があったので、その頃の自分と同じような人たちに向けた大衆性とか娯楽性は捨てちゃいけないなあと今でも思っています。

その後の6年間の貧乏生活も、音楽で稼げる今だから言える、後出しジャンケン的ではありますが、経験してよかったと思います。音楽でお金をもらえない時代があったので、今音楽でお金をもらえることが当たり前ではないということが身にしみます。

仕事をするうえで、お金をないがしろにはできない。昨年、たこやきレインボーというアイドルに、「まねー!! マネー!? Money!!」という曲を書いたんですが、お金はやっぱり大事ですよ。

作曲家の世界は、コンペが多く、なかなかご指名をいただけないんですが、ここ10年くらいご指名をいただきお金をいただける状態なので、そのことに感謝しつつ、当たり前だと思わず、曲をつくり続けていきます。

ヒャダイン(前山田健一) / プロフィール

音楽クリエイター。1980年大阪府生まれ。本名 前山田健一。3歳でピアノを始め、音楽キャリアをスタート。京都大学卒業後、本格的な作家活動を開始。J POP、アイドルやアニソン、ゲームなどに様々なアーティストへ楽曲提供を行い、自身も歌手、タレントとして活動する。

<提供>THEO byお金のデザイン

interview&writing:徳瑠里香
photo:きるけ

 

 

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