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安楽死費用150万~300万円は、高いのか!?安いのか!?

「お金0.2から2.0まで」新しい経済のルールと生き方を考える 中村 修治

【画像出典元】「adobestock.com」

ワタシ(中村修治)には、齢90歳のおふくろがいる。横浜のサービス付き高齢者住宅で独り住まい。毎日、毎日、1通のLINEのやりとりを続けている。「ピンピンコロリと逝きたい」「絶対に延命措置とかせんといて」「いつお迎えがくるのやろな!?」そんなことばかりが繰り返される。安楽死とか、尊厳死とか、否が応でも考えてしまうのが還暦を過ぎた長男なのである。
“散る桜 残る桜も 散る桜”明日は、我が身だと思って、そこら辺のことについて斬り込んでみたい。

88.2%の人が安楽死を受け入れる!?

「日本トレンドリサーチと斎奉閣・家族葬会館 和ごころ」による「尊厳死と安楽死に関する調査」(2023年度10月)によると、家族が尊厳死や安楽死を望んだら「受け入れると思う」と答えた人は、全体のなんと88.2%。さらに、安楽死の法制化について「とても良いと思う」「やや良いと思う」と答えた人は、全体の78.8%。「まったく良いと思わない」は、たったの4%である。

日本の宗教文化と医療体制の中で、そう簡単に安楽死が認められるとは思えない。家族の「迷惑」になりたくないという理由だけで死を願うような高齢者が増えていることを考えると、日本における安楽死の法制化が極めて困難であるのは自明である。

安楽死には、3つの種類がある。

安楽死は、正確には、次の3つに分類されている。
1.積極的安楽死
患者の意思により医師が注射などで致死薬を投与して死なせる方法。
2.医師幇助自殺
医師幇助自殺は医師が致死薬を処方し、患者自身に服用させて自殺を幇助する方法。
3.消極的安楽死
「生命維持のための治療を中止する、または行わない」こと。日本でいう尊厳死はこれにあたる。

積極的安楽死・医師幇助自殺のいずれも容認している国は、オランダ、ルクセンブルク、ベルギー、カナダ、オーストラリアの一部の州、ニュージーランド、スペイン、コロンビア。この中でも、安楽死合法化の歴史が長いのはオランダ。2001年に「要請に基づく生命終結と自死介助法」が成立し、下記の「6つの注意深さの要件」を満たせば医師の刑事責任は免除されるという。

1.患者の要請が自発的で熟慮に基づくことを医師が確信していること
2.医師が、患者の苦痛が永続的かつ耐えがたいものであると確信していること
3.医師が、患者の病状および予後について患者に情報提供をしていること
4.医師および患者が、病状の合理的な解決策が他にないことを確信していること
5.医師が少なくとももう一人の独立した医師と相談し、その医者が患者を診たうえで上記の意見を書面で述べていること
6.医師が注意深く行うこと

医師との意思疎通と互いの理解がない限り、そう簡単に安楽死は選択できないようになっている。

スイスだったら日本人でも安楽死が可能!?

容認国の中でもスイスは、特定の法律はなく「利己的な動機でなければ罰せられない」という刑法の解釈に基づいて医師幇助自殺が許容されている。その上、安楽死が医師や看護師が中心となる民間団体によって行われ、外国人・外国在住者でも可能だという。要は、日本人が安楽死をしたかったらスイスへ行って、民間団体に相談すれば良いということである。
2020年には167人の外国人がこの制度を利用している。最も多いのはドイツの84人だが、日本人も1人含まれている。

スイス・チューリッヒの自殺幇助団体「ディグニタス」を利用したイギリス人のデータをまとめた英紙「インデペンデント」によると、安楽死の費用は平均1万ポンド(約193万円)。人により誤差はあるが、6500万~1万5000ポンド(125万~289万円)が相場だという。誤差があるのは、「遺体処理や葬儀費」が人によって異なるからだ。

日本から片道の飛行機代と宿泊代を合わせても150万~300万円で安楽死は可能になるということである。

安楽死150万~300万円は、安いと思う!!

スイス連邦政府は以前、自殺幇助を規制しようとしたが、2011年に断念した。それに先立ち、チューリッヒ州では自殺幇助と安楽死ツーリズムの禁止を求める2件のイニシアチブ(住民発議)が住民投票で否決されたという。永世中立国・スイスは「死の自己決定権」まで認め続ける。まことに自立した国だと思う。

さぁ、300万円があれば安楽死を選択できる!!
スイスに行けばいい!!
でもそうは問屋が卸さない。ここからが大変である。
死期を早めたい理由を、団体に属する医師たちに伝えなければならない。
それも、英語で…納得するまで話し合わねばならない。
この時点で、ワタシは、無理である。笑
死の自己決定権を得るためには、いくつものハードルがある。

300万円を握りしめてスイスに片道切符で旅立ち、熟練の医師たちに「死を選ぶ理由」を滔々と語る機会を持つこと。この経験は、変えがたい。自分の一生を真剣に振り返る機会でもある。そう考えると、300万円は、安い!!安楽死が認められなかったら、その大半のお金は残る。そうして日本に帰ってからの余生は、また違った味わいのものになると思う。

安楽死の法制化すら語られない日本においては「お金で死を買う」という最期の消費活動に想いを馳せることが皆無である。「死の自己決定権」は、そうやすやすと手に入らないことを知り、「お金で死を買う」難しさを体験するだけでも意義がある。

“いのちとは、残された時間のこと”ではありません。
“いのちとは、死ねないことに抗う時間”だと思うのです。