目次
医療関係からアパレル業界、衣装の世界へと転身し、現在は数々の大物アーティストのコスチュームを手がけるデザイナー・ARAKI SHIRO(アラキシロウ)さん。フェザーや貝殻、流木など、何種類もの素材と生地を縫い合わせて、妖しくも美しい衣装を生み出している。福岡にアトリエを構えながらも大手企業や海外の仕事を華麗にこなし、かつてはあのレディー・ガガの衣装を担当したことも…!! そんなグローバルに活躍するARAKIさんのこれまでの足跡を辿るべく、人生の岐路や印象的な出来事、自身のポリシーについて話を伺った。
Q. コスチュームデザイナーとして活躍するARAKIさん。ターニングポイントはいつでしたか?
東京のアパレル会社に勤め、売り場作り担当(VMD)としてウィンドウディスプレーを担当していた頃でしょうか。デニムを使ってショーウィンドウを演出した際、自分の好きなようにマネキンにコーディネートしたら、お客さんの目に留まって商品が売れたんです。自分が手がけたヴィジュアルによって人が反応し、売上に繋がる。これが快感でしばらくVMDの仕事を続けていましたが、徐々に一からものづくりしたいという欲求が生まれてきました。そこで洋服の勉強をしようと退職して、当時29歳で服飾の専門学校に入りました。
専門学校で専攻したのは、洋服のデザインとパターン。ここではっきりわかったことがあって、自分がやりたいのは流通系の「ファッション」ではなく、アートとしての「衣装」だということ。例えばシルク・ドゥ・ソレイユとか劇団四季とか、総合芸術の一部として魅せる「舞台衣装」の分野です。作り手と身につける人の距離が近く、マネキンにあてながら細かくデコレーションしていく一点もの=クチュールに強く惹かれました。さらににクチュールの本場で勉強したくなりイギリス・ロンドンに渡り、芸術大学の衣装科へ入学したのです。
Q. 30歳を超えて、夢に向かってロンドンへ。留学先で自己開拓の弾みになったことは何でしたか?
衣装を作る技術はもちろんですが、コミュニケーション能力、特にプレゼンテーション能力を学びましたね。いろんな国の人が集まり、さまざまな分野の人々が一緒にものづくりをする学校だったので、当たり前ですが共通言語で話さなければならない。また、自分の作品をアピールする際も、完成に至るまでのプロセスやアイデアソース、そこに込めた想い、こだわりなども事細かにうまく伝えなければ、相手の評価に繋がりにくい。
海外では作り手としての技術だけではなく、プレゼン能力の必要性も大事だと痛感し、これはすごく勉強になりました。
Q. アーティスティックな衣装を作る仕事を、どういう手段で生業にしていったのでしょうか?
仕事にするには、若干時間がかかりました。作った衣装をどうやってビジネスにするかまでは、誰かが教えてくれるわけじゃないですからね。ロンドンから東京に戻った後は、ひたすら衣装を作り、完成品をモデルに着てもらってフォトグラファーに撮ってもらい、各クリエイターと作品撮りを行いました。そのポートフォリオを出版社や企業にメールで送り、自分を売り込むんです。
海外をターゲットに15社ほど送って、初めて声がかかったのは、アメリカ・ロサンゼルスの出版社でした。アート性が高いファッションマガジンの担当者から連絡があり、僕の作品を特集したいと。専門分野の方に響いたことはかなり嬉しかったですし、この特集をきっかけに別の方からオファーがきて、仕事に広がりが出ましたね。
Q. 世界的アーティスト、レディー・ガガの衣装も担当したそうですね!?
そうなんです。先述のファッションマガジンの特集記事を見たと言って、声をかけてくれた方が海外で活躍するスタイリストでした。一通のメールが届き、タイトルが「Lady Gaga × ARAKI SHIRO」。最初はいたずらメールかと思いましたが、ネットで調べたら送り主は実在する大物スタイリストで、レディー・ガガのミュージックビデオの衣装を手がけませんか、という依頼でした。当時は作品撮りしながらアルバイトで生計を立てていた下積み時代。いきなり訪れた一世一代の大チャンスでしたね…!
先方からはざっくりと衣装テーマと要望が寄せられ、3日以内にデザイン画を30点ほど送るという非常にスピーディーなやりとり。その中から1作品が選ばれ、製作〆切も超タイトで(苦笑)。まあどの現場もスピード命の業界ですから、わずかな期間で衣装を仕上げ、東京からN.Y.へ完成品を送り出しました。
無事にミュージックビデオの収録も済んでいたと聞いていたものの、いろんな大人の事情があったんでしょう。最終的には同作のリリースがお蔵入りしてしまったんですよ。「Lady Gaga × ARAKI SHIRO」のお披露目が頓挫したのは残念でしたが、それでもこれが僕の大きな経歴となって注目が集まり、国内外からのオファーが増えました。
とはいえ、この業界は本当にシビア。同じものばかり作ったり、仕事を待つだけでは新たなチャンスは訪れません。トレンドはどんどん変わるし、アーティストは次々に新しいものを求めるもの。
僕も一歩先をいく新作を生み出して、サンプルのストックを常にアップデートしておかなければなりません。完成したらまた作品撮りをして、新しいポートフォリオを関係者に送り、プレゼンテーションする。そこでピックアップされたら再び起用…というサイクル。他の方がどうかはさておき、僕はずっとこのスタイルでやっています。
Q. さまざまな素材から構成される衣装たち。ARAKIさんのインスピレーションの対象や、作る上でのこだわりは?
自然の産物からヒントを得ることが多いかな。 今のオフィスは自然に囲まれているので山や川、海を散歩しながら、いろんな素材を見つけています。僕、収集癖があるんですよ(笑)。拾い集めた貝殻や枝、昆虫の抜け殻などを観察して、ディテールやフォルムの新たな発見を得て、衣装に変換できるポイントを探るのです。
そこからデザインやスケッチ画を描いてみたり、素材を縫い合わせてみたりして、手を動かし作っては失敗、作っては失敗…とトライ&エラーを何度も重ねるんです。僕の場合、最初からデザイン画通りに作るのではなく、作っていくプロセスでインスピレーションが膨らんで、形を見出していくことが多々。紆余曲折を経た先に、想像を超えた完成図が見えてくるパターンです。
僕の衣装は、プリミティブ(原始的)な要素がどこかに残っていて、古代のギリシャ彫刻のようだと言われますね。ほとんどの工程を手縫いで行い、小さなパーツをたくさん作って、意図的にズレや凸凹を設けるなど“歪み”を施します。この歪みの中に醜さや美しさなど豊かな表情が生まれるんです。一着作るのに一ヶ月くらいかかりますけど、製作に没頭するほど楽しいですよ…!
あと、「なにか新しい生きものみたいな衣装だね」とも。醜さと美しさが同居する衣装を鑑賞したときに、見た人が各自の価値観で捉え、それをもとに会話が広がっていく。そんな受け手の反応を見たくてやっていますし、人々に反応を起こす衣装でありたいと思っています。
【写真】2012年のロンドン時代に手がけた、エアーメッシュのパーツを縫い合わせた衣装(白・左)と、ファイバーとシリコンを使った衣装(黒・右)。ともに現地のテクノロジストとタッグを組んで製作したもの。
Q. 荒木さんはお金を貯めるタイプですか? それとも趣味や自己投資にパァ〜ッと使う方ですか?
どちらかというと、僕は“使う派”。自分の足で各地方に行くことが好きで、時間ができたら国内外を旅行しています。都会より、リフレッシュできる自然豊かな田舎に行くことが多くて、船で四国や長崎へ行くことも。だいたい期間を1週間と決めて、その中で行ける場所を見つけて自由気ままに旅をする…という感じ。あらかじめ期間を設けないと、行ったっきりで戻ってこなくなっちゃうかもしれませんから、自分の中での目安は1週間(笑)。