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筑後平野を一望する高台にある木々に囲まれた古い民家で、日月窯の2代目福村隆太さんは作陶をしている。銀や黒の硬質な質感は、私たちの想像するいわゆる陶器とは違った印象を与える。最近は国内外で個展を開催し、注目度が上がっている福村さんが、どういったコンセプトで焼物をつくっているのかを取材した。
Q.とてもモダンな焼き物ですね。なぜこんな質感になるのですか?
これらの焼物は、鉄や銀の金属を含む釉薬を使ったものです。このクールな感じを出したくて、調合しています。最近は釉薬の研究も進んでいて、様々な質感が出せるようになってきました。
僕は父の後を継ぐ形で、2代目として作陶していますが、最初は父の作品を見よう見真似で作っていましたが、徐々に自分らしさを出したいと考えて、このようなテイストの作品を作り始めました。
Q.福村さんの作品が焼き上がるまでの工程を教えて下さい
まずは粘土を成形します。ろくろをひく時は、集中しつつもリラックスした状態で臨みます。夜中に大音量で音楽をかけて、なんて時もあります。
乾燥させて素焼きをした後に、釉薬をかけて本焼きです。うちでは年に2回、春と秋に登り窯を使った本焼きを行うので、その時までにだいたい800〜1000点を作りためることになります。
登り窯は、2日間寝ずにつきっきりで火の番をします。大変ですが、大好きな工程です。特に「せめだき」は強い火力を維持するために、間をおかずに薪をくべ続ける作業で、まさに炎との戦いです。火の色を見ながら、窯の中の作品の様子を思い浮かべて、窯と向き合います。その後1週間くらいの時間をかけて窯を冷まして、窯出。2割くらいは割れたり釉薬が溶けて流れてしまったりしますが、残った中に会心の出来のものがあると、やはりうれしいです。
最初の3〜4年はまったく感覚も分からず失敗続きでしたが、経験が重なるにつれてようやく感触を掴んできました。
Q.作品の構想はどんなものから得るのですか?
僕は、陶芸以外のものからインスピレーションをもらうことが多いです。エジプトの古い甲冑を見て、「この青く光る感じを表現したい!」と作った作品もあります。
美術館に行くのも好きですし、骨董品を集めるのも大好きです。縄文式土器や弥生式土器、須恵器からスリップウェアまで、とにかく暇さえあれば眺めています。「この土味は、次の作品に活かせないかな?」など、見るものすべてに作品のエッセンスを探してしまいます。
Q.N.Y.でも作陶をしていると伺いました。海外での作陶は、福村さんにとってどんな影響がありますか?
年に一度、N.Y.のブルックリン在住の陶芸家Shino Takedaさんのスタジオに1ヶ月間居候させてもらって、作品を作っています。N.Y.で制作するのは、すごく刺激的です。
近年はアメリカでも陶芸が盛んなのですが、日本のように長い歴史や「●●焼」のような文化があるわけではないので、必然的にみんな自分自身ですごく考えて作品を作ります。それを見て、知らずしらずのうちに、「普通こうするものだ」という固定観念に自分が捕われていたことに気付きました。自由に、自分の頭で考えて作るという行為が、とても新鮮でした。海外で制作することで、僕自身のリミッターも外れた感じです。
さらに、日本では自然が豊かなうきはで制作していますが、N.Y.の「街で作る」感覚は、また違った高揚感があります。違う感覚を働かせている感じなんですよね。
また、N.Y.の人たちは、作品を料理にガンガン使います。それも自由な発想で盛り付けるので、使われている様子から自分が学ぶことがたくさんありますね。
Q.最初から陶芸で生計を立てられましたか? また自分にとっての転機はありましたか?
いえ、最初は苦しかったですね。バイトをしながら陶芸を続けていました。ただ自分は「楽しく生きる」がポリシーなので、陶芸も楽しく続けていました。そしてがんばっていれば絶対にうまくいくと信じていました。
というのも、僕は本当に勉強が苦手だったのですが、高校受験の時に部活動を引退して、一生懸命勉強をした時期がありました。すると初めてどんどん成績が上がったんです。そのときに初めて、地道にやれば絶対に成果は出るのだと、身を持って知りました。なかなか行動に移せない人も多いけれど、やった人には必ずリターンがある。情熱は人を裏切らないと信じています。
ただ、大きな決断をしたタイミングはありました。やはり収入が欲しいので、安価で買える小鉢なども焼いていたのですが、ある時「今後普段使いできる器を焼いていくか、それとも作品を作るかを決めなくては」と思いました。どちらがいい悪いというのではなく、どちらかに決めて集中しなくては、中途半端になるぞ、と危機感を抱いたのです。それで僕は、すごく悩みましたが、作品を作る方の陶芸家になろうと決めて、それ以来普段使い用の器を焼くのは一切やめました。
Q.その決断は、間違っていませんでしたか?
作品に集中できるようになったのは、やはり正解でした。必然的に、自分らしい器とはなにか?ということと向き合うことになりましたから。僕はとにかく、30歳まではスキルを磨いて、作品のクオリティを上げることに集中しようと決めました。ギャラリーやメディアで露出するのは、それから。いま30歳なので、今のところはイメージ通りに進んでいます。
僕は、自分のベストは40歳くらいじゃないかと考えています。体力と経験と知識が一番高いレベルで合致するタイミングだと思うので。それまでに高いクオリティのものが作れるように、頑張りたいですね。
Q.作品の値付けは、どのようにしているのですか?
これが難しくて。価格は自分でつけますが、やはり自分自身納得のいく作品じゃないと、自信を持って値付けできません。もっと「これが自分だ」と胸を張りたいんですけれどね(笑)。
Q.この仕事をしていてうれしい瞬間はどんな時ですか?
最近では、海外での個展のオファーもいただくようになり、外国の方からのオンラインショッピングでの注文も、半分を占めるまでに増えました。拠点はここ、日本の福岡のうきはに置きつつ、世界の同じ感性を持つ人とどんどん繋がれるのはうれしいことです。
さらに、海外や日本の新進気鋭の飲食店のシェフたちから、「器を使わせて欲しい」と言われることも増えました。和食もあればフレンチもあります。才能あるシェフの料理と器を通してガチンコで向き合うのは、とてもスリリングです。自分の想像を超える盛り付けをしてもらったのを見ると、わくわくします。僕の器はとんがって見えますが、料理が映えます。ぜひみなさんにも、どんどん使ってほしいです。
Q.将来どのような作家になっていきたいですか?
僕は今でも、金属の釉薬を使ったものと、土の質感を活かしたものと、両方の作品を作っています。金属の釉薬は、いわゆる陶芸っぽくなくてクールさもあって、いまはその新しいチャレンジが楽しいのですが、ゆくゆくはこちらの自然を写したような焼物を作っていきたいと考えています。こちらはまったくごまかしがきかず、陶芸の醍醐味がぎゅっと詰まっているのです。ろくろ、釉薬の状態、窯の状態まで、細心の注意を払って作っても、そこに偶然の美しさが入り込む余地があるのが、面白いです。
日月窯 福村龍太
1989年生まれ。九州造形短期大学卒業後、実家である日月窯で二代目として作陶。2015年から毎年1か月間、アメリカ N.Y.にて作陶。ギャラリーでの個展や全国の百貨店での展示にも力を入れている。