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福岡県糸島市で、自然の循環を考えた農法で野菜や果樹を育て、さらにそれらを活用した商品を次々と開発しながらサスティナブル(持続可能)な暮らしを模索している若松さん。聞けば、元・航空機の整備士。気になるその転身のきっかけは? また、農業を通じてこの先、どんな人生を目指していきたいかについても聞いてきました。
Q.元々、航空機の整備士をされていたんですよね?
2013年に糸島に移住する前の13年間は、東京で航空機の整備士をしていました。自分で言うのもなんですが、仕事熱心な社員だったと思います。もともと世話好きと言うか、職場では常に「少しでもみんなが楽しく働けるように」と心がけていましたし、後輩に対しても「今日はこのメンバーだけど、Aさんの性格的にこういうミスをする可能性があるから事前にこうして、でもあまりに手を出すと成長を妨げてしまうからこう準備をしておこう」とか、「トップはこう判断し、長期計画はこうなっているからこう合わせていこう」とか考えるタイプ。仕事には誇りを持って臨んでいましたね。そんな時、脳に腫瘍が見つかったんです。幸い、手術で良性だとわかったのですが、その入院中、「人生、明日で“無”になってしまうこともあるんだ」と思うと心がざわつき、仕事が手につかなくなってしまって…。
実は2001年のアメリカ同時多発テロ事件や2011年の東日本大震災、そして原発の問題などを目の当たりにしながら、「もっと、より良い世の中を目指すことはできないのだろうか」「自分のために人生を生きているんだろうか」と自分なりに考えることが増えていたんですが、病気をきっかけに、その思いが一気に溢れ出た感じでしたね。2012年に病気が発覚して手術、退院後、2013年には糸島に移住して農業を始めていました。
Q.次の道に農業を選んだのはなぜですか?
花が咲き、実が成り、種が落ちて、また芽吹く。そんな「循環していく」ところに惹かれたこともありますが、整備士と農家って全く異なるようで、「原因を探り、問題を解決する」と言う点ではちょっと似ていると思ったんです。2015年の国連サミットでまとめられたSDGs(エス・ディー・ジー・ズ=持続可能な開発目標)に僕は感銘を受けたんですけど、農業でなら世界で起きている様々な問題を解決できるんじゃないか、と思ったことも大きいですね。だから飛び込んでみたいと思ったというか。環境を変えたい、と思った時、自分の性格と照らし合わせながら、「より社会に役立っていくためには」「自身がより幸せでいられるためには」という思いを表現するのにベストな手段だと思えたんです。でも農業がゴールなのかと言うとそうではなくて、最終目標は、人と人とが出会い、喜びを分かち合うことができる「場づくり」をすること。それをどうやって叶えようかと考えた時、「人が集まる場」に欠かせないものは「食」。ならばまずは、それを育むために農業をしようと思ったところもあります。
Q.どうして糸島に根を下ろしたのでしょうか?
山梨や長野なども検討したのですが、もともと鹿児島の出身ですし、九州も検討して、それなら福岡、糸島かなと。糸島は自然豊かでありながら都市部にも近く、農家に加えてもう少し広い活動ができるのではないかと感じました。移住後は、いいご縁に恵まれて山を借りることができて、甘夏作りからスタートしました。当初は農作物の中でも長い歴史を持つオリーブの栽培に興味を持っていたのですが、すぐに軌道に乗せるのは難しく…。僕は今、4人の子供を育てる一家の大黒柱でもあり、家族の生活も守らなければならないので、理想は理想として持ちながら、足場を固めるべきだと考えてまずは甘夏、さらにイチジク、ブルーベリーを育てました。オリーブも、その傍らで育てていますよ。
《若松さん一家。奥様も元航空機整備士。4姉妹も時々畑やイベントに同行して、家業を手伝ってくれるのだとか》
Q.アロマオイルや洗剤、お茶…様々なプロダクトが生まれた経緯は?
農業もだいぶ軌道に乗ってきて、オリーブについて勉強していた時、葉っぱにオレウロペインという抗菌作用がある成分があることを知り、商品化できないかと思って、糸島の蒸留機の職人さんに装置を作ってもらって蒸留してみたんです。それで期待して蒸気を成分分析に出したのですが、取れたのは香気成分のみ。これは意味がないなと諦めかけたんですけど、たまたま商品にはできない甘夏が積まれているのを見て「ちょっと待てよ」と。それを蒸留してみたら、すごくいい精油ができたんです。甘夏には血流を促進する作用や緊張を和らげる鎮静作用がある「リモネン」と言う成分が含まれており、部屋中にいい香りが漂います。さらにリモネンには油を浮かせる力もあって、これで洗剤も作れるのでは?と。糸島で化粧品のOEMを手がけている「ピュール」という会社に持ち込むと、先方もとても乗り気になってくれて、「甘夏みかん洗剤」が生まれたんです。
《蒸留機は糸島の職人に作ってもらった。ガラス部分は“作家もの”だとか》
このオイルや洗剤ができたことで、「あるものをもっと活かしてみたい」という思いが高まり、その後、いろんな商品を作ることになりました。「日日のびわ茶」は、3年で落葉してしまうびわの葉がもったいないな、というところから生まれた商品。さらに、せっかく広大な土地を管理しているなら養蜂をやってみたら、と言うアドバイスを受けて日本蜜蜂を飼い始めたので蜂蜜も作って。ちなみに、日本蜜蜂を飼っていることは、「畑に農薬を使っていませんよ」いうアピールにもなるんですよ。
《甘夏みかんの畑には、所々に日本蜜蜂の巣箱を》
Q.この先は、どんなことを考えているのですか?
7年にわたって作物を作り、様々な商品を作りながら、たくさんの方々との繋がりを得ることができた今、ようやく「場づくり」が形になりそうなんです。実は2020年のG.W.を目標に、うちの農園で作っている作物を販売する直売所と、それらを使ったメニューが楽しめるカフェ、さらにはゲストハウスが合体した施設をオープンすることになりました。会社を辞めて、移住を決めた時からの夢だったのですが、ようやくという感じですね。融資を受ける時、これまで農家がカフェを作るために融資する、という前例がなかったらしく、難しいかなと思っていたのですが、そんな状況にこそ燃えるタイプで(笑)。計画書を片手に各所を奔走すると融資が叶うことになり、自宅近くの元板金工場だった土地建物を購入することができました。これから急ピッチで工事が進む…はずです(笑)。
これまでも、畑の繁忙期にはたくさんの方に手伝いに来ていただいていたのですが、この場所ができると決まってから、料理上手な方がカフェのメニューの考案係に手を挙げてくれたり、有名ホテルのコンシェルジュだった方が自身のツアーガイドの仕事と並行して、ゲストハウスの管理人に手を挙げてくれたりと、いい流れが生まれています。働ける人が、働ける範囲で働ける場所を生み出すことも僕がずっと考えていたこと。それを叶えることによって、もっと周りを楽しく、幸せにできたらと思っているので、一歩が踏み出せることになった今、すごくワクワクしています。
Q.今、夢はありますか?
「百姓になる」でしょうか。聞いた話なんですが、「百姓」って、昔は農業だけでなく、大工もやり、医者もやり、商人もやり…という感じだったらしいんです。村という小さな単位の中、必要に迫られてそうなったのだと思いますけど、そういうの、いいなと思って…。今で言う、マルチクリエイターみたいな感じじゃないですか。
これから場所作りでちょっと忙しくなりそうなんですけど、だからといって畑を離れることはないですね。誰かに任せて指示するだけって“楽”だと思うんですけど、やっぱり現場にいて苦労しないと新しい発想は生まれないと思うから…。これからも畑で四季の流れを感じたり、動物たちと触れ合ったりしながら、時代にマッチした新しいことを生み出していけたらと思っています。
農園主 若松潤哉
鹿児島県生まれ。学校卒業後、飛行機の整備士として活躍。2013年より同じく整備士だった妻、4人の子供たちと共に福岡県糸島市に移住し、農業に従事。同時に農作物を使った様々なプロダクツを開発。2020年G.W.には、直売所とカフェ、ゲストハウスを一体化した施設「りた」をオープン予定。趣味はサウナ通い。