BBQのプロの焼き手として国内外を飛び回る、「焼師」という仕事とは?
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BBQのプロの焼き手として国内外を飛び回る、「焼師」という仕事とは?

new work style

「仕事は?」という質問に対する回答が「焼師」だった時。10人中10人が「それってどんな仕事ですか?」と質問を返すに違いない。けれどそこから生まれるコミュニケーションもまた、彼にとっては楽しみのひとつなのだ。

今回登場していただくのは、「焼師」つまり「プロの焼き手」として、福岡を中心に、今や国内外からもオファーを受けている中村圭一さん。その活躍の舞台は、彼曰く、「ひとつのレジャーに留まらず、仲間や家族、そして仕事の輪をどんどん広げてくれる可能性に満ちたツール」であるBBQ。起業から4年。いろんな苦労や悩みを抱えつつも「もはや楽しさしかない」というこの仕事の魅力、始めたきっかけなどについて聞いた。

「焼師」という仕事

「焼師」という仕事

肩書きから、「焼く」というところだけがフォーカスされがちな中村さんの仕事。実際は、BBQの準備から片付けまで、全てを含みます。 例えば、オファーを受けるとまずは知り合いの生産者などを回って食材を調達し、仕込み。当日はBBQ開始の3時間前に会場入りして設営。乾杯と同時に万全の状態に仕上げた熱源で食材を焼いていきます。そして終了後、片付けをして撤収。その工程を全て1人で行っているというから驚きです。

「最高400人のBBQまで1人で対応したことがあります。大変ですけど、皆さんが楽しそうにしている光景を眺めるのが好きなんです。始めた頃は、『お金を払ってまで、人にBBQをお願いする人っているの?』と思うこともあったんですけどね」。

石橋を叩き壊してきた人生

今でこそBBQを通して多くの人と出会い、オフシーズンになると趣味のダイビングを兼ねて南の島へ。人生を謳歌しているように見える中村さん。幼い頃からチャレンジ精神旺盛だったのでしょうか。

「いえいえ、全くです(笑)。10年前の自分が今の自分を見ると、ものすごく驚くと思います。大学を卒業して一般企業に就職したのですが、それまでの人生、常に保守派というか、いつも頭で考えて石橋を叩き壊し、何も行動に移さないタイプでしたね」。

そんな中村さんが、当時、友人たちの間で話題となっていたフィリピン語学留学に勢いで参加することになり、人生が激変。出発日まで、そして飛行機で日本を出発してからもなお、どこか夢心地で全く実感がなかったにも関わらず、現地のイミグレーションに到着した瞬間、自分の中で何かが弾けたのだと言います。

「『自分が未知の事に対して躊躇していたことは、こんな簡単に乗り越えられるものだったんだ』と気が付いて。それ以降、気になることにはどんどん首を突っ込むことに。臆せず石橋を渡るタイプに変わったんです」。

そんな仕事、あるんですか?

そして帰国後、知り合いの紹介で出会ったのが、東京で出張BBQを始めたばかりだという若き社長。当時はグランピングという言葉もなければ、BBQ自体、週末の個人レジャー的なポジションでしかなく、中村さん自身も「BBQを仕事にするってどういうこと?」と、すぐには理解できなかったほど。しかし、手伝いとして入った日からそれは「天職」に。

《「肉の種類、部位、また熱源によっても仕上がりが異なり、経験するたびに“より美味しいもの”を提供できるところも楽しい」と中村さん》

「自分が施すことに対して、目の前の人が笑顔で『嬉しい』と反応してくれる。そんなこと、僕のこれまでの人生でなかったんです。一方で、『どうしてわざわざお金を払ってまで?どうして自分でやらないんだろう』とも思っていたんですけど、ある方が、『せっかくの休みに、妻とゆっくり会話をしながら食事を楽しみたいし、子供たちとも全力で遊んであげたい。そんな時、圭ちゃんがいてくれると、すごく助かるんだよ』と。自分の存在意義やこの仕事の可能性に、そこで一気に気付かされたんです」

福岡で踏み出した「焼師」としての第一歩

その後福岡に戻り、「焼師」としてのキャリアをスタート。けれど最初は決して順調ではなかったそう。

「福岡ではまだまだ、誰かにお金を払ってBBQをやってもらうようなムードもなかったし、トータルで7年離れていたので知り合いも少なくて。でもどうにかしなければと異業種交流会に参加し、出会った方10名くらいをレセプションと称するBBQに招いて自分の仕事を見てもらったんです。そこからですね。徐々にオファーが増え出したのは。実は僕、今でも紹介制を取っていて、幹事の方は必ずどこかで一度、会ったことがある人なんです。顔が見えるBBQのほうが自分自身も楽しいですし、何よりキャンセルが極端に少なくなるから…(笑)」

そしてカナダ、アメリカ、シンガポールへ

「焼師」として活動を始めて4年。初年度から徐々に仕事は軌道に乗り、今では海外からもオファーが。

「最近では知り合いを通じて依頼をいただき、カナダへ。当日の3日くらい前に現地入りして食材を調達、仕込みをして本番を迎えました。 それが無事に終了して、ついでにアメリカ在住の友人宅を訪ねたら、そこでも『仲間を集めてBBQやろうか』と。その後は日本に帰る予定にしていましたが梅雨時期だったので、以前から知り合いがいるシンガポールにも急遽立ち寄ることに。そこでもまた依頼が入ってBBQ(笑)。ちなみにシンガポールって、ものすごくBBQが盛んなんですよ。都心のコンドミニアムにも必ずBBQコーナーがあるし、ファミリーを交えたパーティも多い。実は初年度にオファーを頂いてから毎年訪れているのですが、今回は11日滞在して11回もBBQをしました(笑)。年々オファーが増えるので、そろそろ向こうに拠点を作ろうかとも考えているんです」

《シンガポールでは、プールサイドで子供たちを遊ばせ、大人がBBQでランチ・ディナーを楽しみながら交流を深める場も多いのだとか》

BBQだけではない、新しい世界へも

BBQだけではない、新しい世界へも

「焼師」として、フットワーク軽く様々な場所へと出かけている中村さん。仕事の軸はもちろんBBQですが、今年はN.Y.にオフィスを構える「GAKKO」のサマーキャンプに、キッチンメンバーとして関わるチャンスも訪れました。

「世界各国から5,60名の子供たちが集まる3週間のサマーキャンプで、キッチンメンバーは日本国内いろんなところから集まった6名。みんな、初めましてのメンバーでした。僕は知り合いから紹介され、期間中に3回行われるBBQと、グリル系の調理担当として仲間に入れてもらったんですが、手が空いている時は通常の調理の手伝いもさせてもらったり。そこでシェフたちが考案するバラエティに富むメニューや遊び心のあるテーブルコーディネート、すべてに刺激を受けました。あと、もっと言葉を学ばなければとも思いましたね。将来、いろんな場所でBBQを展開していくにあたり、やっぱり自分の思いを自分の言葉で伝えるって、すごく大切なことだと実感しました」

これからの「焼師」としての目標は?

これからの「焼師」としての目標は?

今後は、もっといろんな場所でBBQを手がけ、たくさんの人と触れ合いながら、幸せな時間を共有できたらと語る中村さん。実はもう1つ野望が。

「福岡の都心部に、専用のBBQスペースを持ちたいんです。特別な日のBBQもいいけれど、もう少し気軽に、日常的にBBQを楽しんでもらいたくて…。最近はいつも、どこかにいい屋上ないかなぁ、と、上ばかり眺めながら歩いてます。貸してもいいよ!という方、ぜひご一報ください(笑)」。

《現在は、公園など以外に福岡市中央区に2ヵ所提携してもらっているスペースがあり、希望がある場合はそこでBBQを行っている。1ヵ所は写真の今泉「BAR DREIECK PARK」屋上》

焼師 中村圭一

糸島市生まれ。岡山の大学を卒業後、医療系企業に就職。29歳の時に仕事を辞めてフィリピン留学へ。その後、BBQと出会い、2015年に「焼師」として独立。福岡を拠点に、オファーがあれば国内外へ出かけ、BBQを手がけている。

BBQは1回50,000円(1〜10名まで、11名以上は1名プラス5,000円、飲み物は各自用意)
※現在は紹介制で、知り合いからのオファーのみ受付。