バイヤーを目指す23歳に、セレクトセンス光る福岡の人気文房具店オーナーのアンサーは
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バイヤーを目指す23歳に、セレクトセンス光る福岡の人気文房具店オーナーのアンサーは

令和ヤングと平成ヤング

平成が終わり、時代は令和へ。平成の終盤に異常に発展した携帯電話やスマートフォン、インターネットなどの通信機器やインフラのおかげもあって、私たちの生活環境は平成元年の頃と比べるとその有様を大きく変えています。そんな、まだ通信インフラも整っていなかった平成時代にヤングと呼ばれた人たちはすでに30代後半から50代へ。働き盛り真っ只中で、まさに今の時代を引っ張っているかつての平成ヤングたち。そんな彼らが、今現在ヤングを謳歌している令和ヤングの悩みや相談にアンサーする新企画『令和ヤングと平成ヤング』。令和ヤングにもおなじみ、福岡のウェブメディア「AFRO FUKUOKA」では令和ヤングの生態にせまるお話しを、こちら「mymo」では今や賢者となった平成ヤングのアンサーを、それぞれのマルチアングルコラボとしてお届けします。

令和ヤングと平成ヤング #2

質問する人
令和ヤング 蛍さん(23歳・会社員)

西本早希さんとの共演がきっかけでフォロワーは2万人超。インフルエンサーとして活動するほか、インフルエンサーを利用した企画提案も手掛ける。

答える人
平成ヤング 髙山 啓太(PLASE.STORE オーナー)

1983年生まれ。2011年に福岡市城南区鳥飼に「PLASE.STORE」、2014年に南区大楠に2号店をオープン、2018年10月に鳥飼店をノート専門店へとリニューアル。

【令和ヤング 蛍さんのお悩み】

願望ですが、結婚したらバイヤーとして活動したい!という思いがあります。小物が好きなので、アクセサリーとかファッション雑貨とかを取り扱いたいです。まだ動き出しているわけではなく、これからという感じなのですが、お店を開くにあたってどういうことを勉強しておいたらいいでしょうか?

ーまず高山さんはどんな学生時代を過ごされたのですか?

ーまず高山さんはどんな学生時代を過ごされたのですか?

今の職業からは想像できないんですけど、僕はもともとバス釣りのプロになりたかったんですよ、いわゆるバスプロってやつです(笑)でもさすがにそれは親から止められてしまったので、じゃあスポーツも好きだ。だったらマスコミか、という安直な発想でマスコミ系の大学をいっぱい受けたんですが、見事に全部落ちて福岡大学の法学部に入学しました。

ー地元は福岡ですか?

はい、たまたまではありますけど、今店舗を構えている大楠で生まれて、小学2年生から飯塚でした。

ーでは一人暮らしではなくご実家から通われたんですか?

いや、それが一人暮らしを始めまして。結果論ではありますけど、それが今の仕事につながっています。というのも、一人暮らしを始めてからインテリアにはまってしまい、意外としっかりはまってしまったものだから、夜間ですけどインテリアの専門学校に通い始めたんですよ。学校はほとんど主婦の方ばっかりで学生は僕しかいないような社会人スクールのようなスタイルだったんですけど、昼は大学に通って、夜はインテリアの学校にという具合で学生時代はほぼ遊んでなかったですね。

ーその流れで今のお仕事につながるんですね。

ーその流れで今のお仕事につながるんですね。

いや、まぁそれがそうでもなくて。卒業後新卒で某キッチンショールームに入社したんですが、一般大卒として入社してるから職種は営業だったんですね、しかも配属は東京で。ちょうど周りの先輩とか同期とかがドンドン辞めてしまう環境の中で、このままじゃやばいことになるかもっていう根拠のない不安に飲まれたまま入社からわずか3、4ヶ月で辞めます!って言っちゃって、じゃあ社宅を出て行けということになってしまい、一週間後には福岡に帰ってきちゃいました(笑)そんな時にACTUSっていうインテリアショップにアルバイトで拾ってもらいました。ほんとは正社員がよかったですけど、どこも受かるわけないですよね、絶対こいつすぐ辞めるだろうってなりますもんね(笑)でもACTUSではバイトでもメーカーの仕入れとかさせてくれたんですよ。それに品出しとか、それこそお店を運営するうえでの上澄みだけではなくて、結構いろいろやらせてもらえました。結局2年でしたけど、ほんといい経験積ませて頂いたなって思います。

ーACTUS時代の経験は間違いなく今のお仕事へリンクしてそうですね。

そうですね、僕意外とそういうの運良く多い気がします。ACTUSの後に2年働いた写真スタジオでも、スタイリストとして絵づくりみたいなことに携わらせてもらってて。そのおかげで写真の強さみたいなものを知ることができたので、まさに今うちの強みである商品の見せ方だったりするところをグッと伸ばせたと思いますし、その時にできた人脈も大きいですね。

ーそんな中でなぜ独立しようとお考えになられたのですか?

なにかきっかけとしていいことを言えたらいいんですけど、僕の場合はやっぱりどれも続かなかったというのが正直な理由かもしれません。だから念願のお店を開きました!というような感じでもないですし。多分僕ってわがままなんですよ、仕入れもディスプレイもデザインも接客も全部自分で徹底的にやりたい。じゃあ全部自分で決められるお店を始めようかって。それに元々僕はインテリアのデザインをやりたいなと漠然と思ってたんですけど、結構信頼している人から「作るよりも紹介するほうが向いているよ」って言われたことがあって、どこかで潜在的にお店をやりたいっていうのがあったんでしょうね、そのときから。

ー独立するにあたって資金とかはどうされましたか?

独立するって時はすでに結婚してましたので、嫁に相談して、僕と嫁の貯金と、親から借りたりして調達しました。家族のルールとして、借入はせずに無借金で経営するというのを決めているので、そもそも初っぱなからあんまり大きなこともできないんですよ。身の丈にあった資金ではじめたということでしょうか。

ー最初のバイイングはどのようにされたのですか?

ー最初のバイイングはどのようにされたのですか?

あてもないので、イメージ優先で北欧に行ってきました(笑)現地のバイヤーとかメーカーとかとのつながりがあったわけでもないので、蚤の市とか現地のものをみて買ってくるとかで、もうほぼ観光客と同じでしたね。しかもその時バイイングした商品のうち文房具が7割くらい占めていたようで、その時から既に文房具が好きだったんでしょうかね。

ー文具に寄せるというお店のプランは最初から意識されていたんですか?

ー文具に寄せるというお店のプランは最初から意識されていたんですか?

いやそれがそうでもなくて、自分的には雑貨屋さんという立ち位置だったんですけど、独立してすぐに取材してくれたローカル誌の方が、それこそ勝手に記事に「文房具専門店」って書いたんですよ。その時はまだ僕はそんなつもりはなかったので、いやいやいやってなるところなんですけど、ふとそっちのほうがいいかもなぁって思ったんです。なのでうちが文房具専門店になったのはその瞬間ですね。まぁいずれはそうなってたかもしれませんけど。
結構昔からうちがおいしいのって、そういう文房具のセレクト店とかって当時福岡になかったから、
勝手になんだか良い扱いをしてもらえるのがおいしいだけで、別にうちが何か特別だったとか、すごいとかじゃなかったと思うんです。そういうおいしい立ち位置をもらえたのはその記事のおかげかもしれないですね。

ーそのおかげもあって今では人気店として多くの方に知られる存在になっていますね。

自分でいうのもなんですけど、当時も今も大したお店じゃないんですよ。周りが勝手にそういう過大評価をしてくださっているだけで、鳥飼のときも見返すだけでも酷いし、とても見れた店じゃないんですけど、そういう扱いを一部の方がしてくださったのはありがたいことですね。

ー鳥飼に続いて大楠と、店舗も増えて順調なように見えますが。

ー鳥飼に続いて大楠と、店舗も増えて順調なように見えますが。

いやいや、僕は多店舗展開するようなタイプじゃないんで。元はと言えば鳥飼の店舗がほんと狭くて、5坪しかないので、おばちゃんとかにつかまったら逃げ場がなくてほんと仕事にならないし、どこか広いところに移転したいとずっと思っていたんですよ。それに僕は仕事前にスタバに行ってお店のことを考えるっていうのがライフワークなんですよ。それしないと死んじゃうみたいな。本当にお酒みたいな感じで、それができないと手が震えてくるんです、本当に(笑)。お店のことを朝考えないとしんどいみたいな。それを昔からスタバでやらせてもらってて、そこでノートを使っている時間が、僕にとっては幸せな時間だったんですね。

だから実際そんな場所を作りたいと考えてて、窓がおっきくて緑が見えてコーヒーが飲めて、自分の時間を過ごせるような場所を作りたいなぁと。そしたら縁があって大楠にまさにそんなテナントが空いてるよって教えていただいて。興味本位で見に来たら、公園の前で、しかも僕が生まれた場所で、運命とか感じたら弱いじゃないですか。で、お金もないのにやりたいと思って、そのときも嫁がどうかしてたので(笑)。無茶苦茶ですよね、今考えたら。ほんと行き当たりばったりなところがあるので、お店の経営が順調だからもう一店舗増やしましたみたいな感じでは正直全くないんです。

ーでも移転ではなく鳥飼の店はおいておきたいんですね?

貧乏性なので、物もそうなんですけど、捨てられないんですよ。大楠の店を作るときも周りからは絶対移転やろって、残す意味がわからないって散々賢い人たちに言われましたけど、僕は思い入れもあるから捨てられなくって。

ー他のお店では売れないだろうけどこの店だったらから売れた!っていうものはありますか?

ー他のお店では売れないだろうけどこの店だったらから売れた!っていうものはありますか?

結構そういうのは多いかもですね。うちが日本で一番売ってる商品って実は結構あって、その中でも一番知られてるのだと「つくし文具店」っていうのは福岡だとここにしか置いてなくて。九州でも2,3店舗なんですけど、東京の国分寺にあるメーカーで、本当かどうかわからないですけど、うちでたくさん売れて有名になったから足を向けて寝れないとか言われましたね(笑)これは福岡で一番に手をあげたから、うちが取り扱えてて、うちも売上をとってもらってて、一番うちを代表する商品になりましたし、お互いよい関係です。

―逆はあります?これは売れると思って仕入れたのに売れないとかって。

失敗はいっぱいしてますよ。失敗ばっかりです。返品できたらもっと適当に仕入れるんですけど、やっぱり基本買取にこだわっているっていうのはありますよね。そんなにドサッと仕入れられるような資金もないですし。うちみたいなお店が大手さんくらい予算を持ってたら多分最強ですよ。ワンオーナー店舗なので、スピード感みたいなのがとにかく早いじゃないですか、僕が雑誌でみて気に入って、すぐ電話して仕入れますみたいになることは結構あるんですけど、それは大手さんだったらないじゃないですか。そこは強みですよね。

ーバイイングやセレクトでこだわっているところはどんなところですか?

人より先にやるみたいなとこだと思います。後にやられたらつまんないし。でも、うちとかセレクトショップじゃないですか、セレクトショップが「どこが真似した」とか言ったら終わりだと思うんですよ、「どっちが先」とか。結構言うんですけど「あっちが真似したとか」。でもそれ言うんだったらやめろよっていう話で、オリジナル作るか買い付けてくるかするべきだし、「どっちが先にやった」ていうのは現実的に無いと思うんですよ。あるとしたら「お客さんがどこで最初に知ったか」じゃないですか、一番魅力を伝えるのが上手だっていうのは大事だと思っています。

――接点作ったところが勝ちっていうことですよね?

そうですね。うちがこれまでおいしい扱いをしてもらえたのって全部そこなんだと思います。そういう店がなかったときにやったから。それっぽく見られて、そういう商品を最初に仕入れたから、良くしてもらえたっていう。そういう意味では鳥飼のお店をノートだけのお店にしたのもそういうお店が全国に無いから、おいしいっていうのもなんとなくあるんじゃないかな。だから、できればそういう先端でいたいっていうのはありますね。

今回の平成ヤングからのアンサー

今回の平成ヤングからのアンサー

経験や勉強も大事だとは思うけど、誰もまだ知らない新しいものを誰よりも先に見つけてお客さんへその魅力を伝える。いいものをたくさん集めるよりも、本当に好きになれたものをお客さんに伝わるように丁寧に魅力を発信することを続けたら、規模は小さくてもきっと周りは気づいてくれるはずです。