目次
- Q.音楽の仕事で、東京の第一線で働いていた樋口さんが、田川で「いいかねPalette」を立ち上げたのはなぜですか?
- Q.いいかねPaletteでは、樋口さんはどういったことに取り組んでいるのですか?
- Q.田川市に、この場があるということは、どういう意義があると考えていますか?
- Q.なるほど、場所の持つ力も借りながら、これまでの社会にはなかった価値観を感じてほしいという意図もあるのですね?
- Q.地方で音楽を仕事にするために、クオリティを保つ方法は、どのようにしていますか?
- Q.田川に戻って、樋口さん自身に変化はありますか?
- Q.今後、「いいかねPalette」や田川はどうなっていけばいいと思いますか?
- 樋口聖典
炭鉱の町として賑わった福岡県田川市で、現在廃校となった「猪位金(いいかね)小学校」を活用したユニークな取り組みが行われている。「いいかねPalette(パレット)」と名付けられた施設には、宿泊やコワーキングスペースとともに、本格的な音楽のレコーディングスタジオが揃っている。福岡県内はもちろん、日本全国からやってくる人が増えつつあるこの場所で、運営に携わる樋口聖典さんに話を伺った。
Q.音楽の仕事で、東京の第一線で働いていた樋口さんが、田川で「いいかねPalette」を立ち上げたのはなぜですか?
東京では、会社の代表をしながら、広告を主にした音楽の仕事をしたり、お笑い芸人の仕事をしたりしていて、収入もありました。周りからの評価ももらっていたので、このまま仕事を続ければ、もっと大きい仕事もできて、有名にもなれるだろうと思っていました。
ところが、この先の将来が見えてきた時に、それに興味が持てなくなったんです。生きる目的が見えなくなるというか。
そんな時に、出身地である田川市で、廃校を活用した事業の公募が行われると知りました。音楽をもとにした事業にしてほしいというのが要件だと聞いて、これは僕しかいないだろう!と思いました。
「いいかねPalette」は2年半前から稼動しているのですが、僕自身は東京とのダブルワークを経て、1年前に田川に戻ってきました。今の「いいかねPalette」があるのは、現場で頑張ってくれているスタッフの力です。正直僕がいなくても、現場は回るので(笑)。
Q.いいかねPaletteでは、樋口さんはどういったことに取り組んでいるのですか?
僕にできることといったら、「田川をこういう町にしていきたいんですよ」とか、「こうやったら面白いことができそうですよね」と、いろんなことを話すくらい。僕の役割は、思想を発信することかもしれませんね。
僕はずっと音楽の仕事をしてきましたが、それを好きだったか?と言われるとちょっと違っていて、一番得意で換金性が高い能力だったというのが近いかもしれません。もちろん評価されるとうれしいのですが、一から音楽を作りたいという欲求はあまりありませんでした。
それが30歳も半ばを過ぎてくると、これまで正解だと思っていたものが、見方を変えたら不正解だったり、反対にダメだと思っていたものが角度を変えた時に輝いて見えたり。そういうことが続いて、自分の中の正解がどんどんなくなって、価値観が崩壊しました。
それからは「◯◯すべき」という自分の外に価値観を置くありかたではなく、自分の中に理由があることをやった方がよいと考えるようになりました。人生を楽しむことの重大さに気づいた僕にとっては、今このタイミングでは、「田川をもっと盛り上げる」ということが一番面白いことでした。
Q.田川市に、この場があるということは、どういう意義があると考えていますか?
田川市って、これからの日本の未来の姿だと言われます。生活保護受給率や完全失業率の高さなど、負の側面で語られることが多いのです。もちろん、政治などによってこれらを直接的に解決することに取り組むのも大切なのですが、楽しいことを生み出すことで、僕らが取り組めることもあるのではないかと思いました。
「田川、なんか盛り上がっているよね」「行ってみたいね」「住んでみたいね」「田川の人と仕事したいよね」。そんな要素を増やしていけばいいんじゃないか。
だんだんここを利用してくれる人が増えてきて、言われる感想が大きく2つあります。それは「懐かしい」ということと「ワクワクする」ということ。小学校って日本人みんなの原風景的に刷り込まれていて、初めて来た場所なのに不思議と懐かしい気持ちになりますよね。
その知っているはずの場所が、見たことのないことで使われている様子に、みんな場所の持つ可能性を感じてワクワクするのだと思います。
Q.なるほど、場所の持つ力も借りながら、これまでの社会にはなかった価値観を感じてほしいという意図もあるのですね?
僕の会社には理念が3つあって、「どこでもできる世界をつくる」「なんでもできる世界をつくる」「だれでもできる世界をつくる」というものです。これは、自分が何者であるかとか、どこにいるかに関わらず、とにかく「できる」ことを信じるし、できるようにしていきたいということ。もっと言うと、これが「自由」ということなのだと思うのです。自分自身を含めて、もっと人間全体を「自由」にしたい。
東京ではなく田川で仕事を始めたことも、「どこでもできる世界をつくる」ことの一環です。ひょっとしたら福岡であればできるかもしれませんが、福岡は東京の次にイケてるからやれるのであって、それは「どこでも」とは言いません。あえて言いますが、田川というイケてない場所で、本気で楽しそうにやっている奴らがいて初めて、本当の地方創生と言えるのだと思います。
Q.地方で音楽を仕事にするために、クオリティを保つ方法は、どのようにしていますか?
当初は、ここからプロ志向の人をどんどん育てようと考えていました。しかしそれは実際にはなかなか難しい。その時に考えました。僕は音楽“産業”で田川を盛り上げようと考えていたけれど、音楽は別にお金を稼ぐためや世間に認められるためにあるわけではないなって。
「元気のなかった子が、いいかねPaletteにやってきて、ドラムを叩いて帰ったら元気が出てきた」ということだって、立派な音楽の仕事です。コーヒーを飲みに来ていた男性に「音楽って難しいんでしょ?」と尋ねられたことがありました。「難しくないですよ、一緒にやってみましょうよ」と、パソコンの音楽ソフトにチャレンジしてもらったら、「面白い!またやりたい!」とモチベーションがあがっているわけです。
世の中には、いろんなシーンで音楽が必要とされていると気づきました。昨日は、僕と友人のシンガソングライターで、保育園にボランティアに行きました。みんなが楽しめる童謡や小さい子に人気爆発中の「パプリカ」なんかを演奏したら、これが大盛り上がり(笑)。これはトップアーティストの仕事ではないけれど、そうじゃないからこそできる仕事があるってことです。「上手な方がいい」「有名な方がいい」という価値観も、たちどまって考えたほうがいいのだと思います。
「いいかねPalette」は「音楽で田川を盛り上げる!」をキーワードに掲げています。その理由として、まずは僕がもともと音楽をやっていて、対外的にわかりやすいからということ。そして「最初は自分ができる範囲でやろう」という意図があります。しかし理想としては、音楽にこだわらず、ものづくりで心を豊かにしていきたいですね。
Q.田川に戻って、樋口さん自身に変化はありますか?
ずいぶん変わりました。実はいま、人生で一番借金をしています。東京にいた頃、つまり一番お金があった頃より、借金まみれの今の方が、なぜか毎日が幸せです。
一度、最悪な状況を考えてみたことがあります。会社が立ち行かなくなる、会社の借金は代表である僕が背負うことになる。払えるわけないから自己破産をする。田川で「負け犬だ」と評判が立って、ものすごく恥をかく。肩身の狭い思いをしながら生活保護で暮らすのか、他の地域に逃げてバイトをしながら暮らすのかはわかりませんが、「あ、そのくらいだな」と思いました。オレ、死なないな、全然生きていけるなって。逆説的ですが、ここまで覚悟しているからこそ、絶対うまくいくと信じています。
もちろんお金は稼ぎたいですよ(笑)。でもそれは自分のためにというより、例えばいま「スタジオ代の1500円が高いな」って思っている高校生に、500円で貸せるようになるからです。スタッフにももっと給料払いたいですし。あと、うちの子どももまだ小さいですし(笑)。ただ、「いいかねPalette」やっていたら、いつか大きなリターンがある予感はしています。
これまで、外からの刺激があればあるほどいいと思っていました。東京にいた頃に比べて、今は明らかに刺激も知識量も減っています。でも、やってみたらそれで全然大丈夫でした。人って重いリュックサックを背負っているみたいなもの。「携帯電話の充電パックも持っておこう」「雨が降ったら心配だから、折りたたみ傘」みたいにたくさん抱えて、「重いな―、辛いな―」と言いながら生きている。でも別に充電は切れてもいいし、雨に濡れても大丈夫。こういうことに心から気づけたのは、田川に戻ってきたからです。
Q.今後、「いいかねPalette」や田川はどうなっていけばいいと思いますか?
僕は、「いいかねPalette」にもっともっといろんな人が集まって、勝手に文化ができていけばいいなと思っています。イメージで言うと、トキワ荘。面白い人達が集まって、化学反応が起きて、能力以上のポテンシャルが引き出されて…という風景が見たい。僕の思惑を超えたところで進化してほしいです。
「いいかねPalette」は、田川の「ツボ」のようなものであり、田川は日本の「ツボ」だと思っています。ここの血流をよくすることで、その影響が日本に波及していけばいいですね。
樋口聖典
1981年福岡県田川市生まれ。幼少の頃より様々な楽器と親しむ。九州大学大学院芸術工学府修了後、自主制作映画制作、自主企画イベント、WEB制作、お笑い芸人など様々な仕事に携わる。2016年株式会社BOOKを設立。出身地である田川市にて「いいかねPalette」の運営に携わる。