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福岡市内のクラブやバー、イベントなどに登場し、多国籍な料理を振る舞う「カーネル深夜食堂」。月に2、3回のペースで開催場所を変え活動し続け約6年。今やファンの間では「今夜、出るよ!」と噂が立つほどの存在に。
その店主は「カーネルくん」こと野見山龍太さん。実は、福岡市の人気コーヒーショップ「STEREO COFFEE」の店長という顔も合わせ持つ。昼はバリスタ&イベンター、夜はときどき料理人。そして来年からはまた新しい展開も…。様々な場をステップに夢へと近づきつつある野見山さんの、お仕事スタイルとは?
神出鬼没の「カーネル深夜食堂」
今夜の出店場所は、親不孝通りのクラブ「キースフラック」。タイ・バンコク出身のミュージシャンのライヴ&DJイベントに合わせ、野見山さんが用意したのは、青パパイヤのサラダ「ソムタム」と、そのソムタムにひき肉、ハーブを合わせてフランスパンにサンドした「カオチー」。どちらも野見山さんが実際に現地で実際に食べ、身につけてきた本場の味です。
「準備はほんと大変です。飯塚の実家で下準備をして、80リットルのリュックを背負って会場入りするのですが、その何日も前からメニューや当日の段取りを考え、買出しも自分でします。毎回、『なんでこんなに大変なことをやっているんだろう』と思うのですが、自分が作った料理を仲間がおいしそうに食べてくれるのが嬉しくて、つい続けてしまうんです。
《『カーネル深夜食堂』の日には、このリュックスタイルに、鍋を両手に抱えて飯塚からバスに乗り、天神へ出てくるのがお決まり》
今回のメニューは、以前、同じイベントで出店依頼を受けた時、『本場の方に小手先のタイ料理なんて食べさせられない』と、慌ててチケットを取り、タイのチェンマイへ行った時に知ったもの。以来、タイ料理にはまっています。僕はもともと、見たことない、味わったことない料理を見つけて、レシピを想像しながら作るのが好きなのですが、エスニック料理には特に、その好奇心をくすぐられる何かがあるように思いますね」
知ること、作ること、学ぶことが好き
子供の頃から料理が好きで、一人暮らしを始めてからは、夜な夜な料理を作って撮影し、Instagramに投稿していたという野見山さん。けれど、料理人を目指すという訳ではなかったそう。
「料理は純粋に“好き”なこと。気分次第で毎日、違うものを作りたいので仕事にするなんて思っていなかったですね。ちなみに僕、自分のお腹を満たす為に料理をすることってほぼないんですよ。まず腹ごしらえをして、さぁ、今日は何を作ってみようか、とキッチンに向かう。作ること、料理が生まれた歴史、地理を勉強するのが好きなんです。時間がある時は、海外の屋台を紹介する番組やYouTubeをしょっちゅうチェックしています」
《野見山さんが影響を受けた本。「つくる、たべる、かんがえる」のキャッチコピーにグッと来て、ここから食への想いがさらに強まったという、福岡発の冊子「PERMANENT」と、「料理のベースはどんな国でも同じでシンプルなもの」という考えに惹かれたという、玉村豊男の「料理の四面体」》
今のスタイルが出来上がるまで
仕事と趣味を両立しながら、充実した毎日を送る野見山さん。その経歴は、なかなか興味深いものでした。
「大学を卒業後はインテリア業界に進みたかったんです。でも就職活動は見事に全敗。そんな中、ある雑貨店に契約社員として雇っていただけて、同時に「スターバックス」でアルバイトも始めたんです。当時の「スターバックス」には、今、福岡のコーヒー業界を牽引しているような方々がたくさんいて、スタッフ同士の意識も高く、すごく刺激を受けました。でもある日、憧れていたインテリア会社「ウィークス(※)」の求人を見つけて転職を決意。新卒の時は不合格だったのですが、この時は「スターバックス」でSSV(時間帯責任者)を務めていたことも評価していただいて合格できたんです。嬉しかったですね。その後、「B・B・B POTTERS」に配属されるのですが、料理道具に囲まれて、イベントでは料理家の方々のお話も間近で聞けるなど、料理好きとしてはたまらない環境で働くことができました」
(※)「ウィークス」…福岡・薬院で「B・B・B POTTERS」、天神で「LT LOTTO AND TRES」などを展開するテーブル雑貨・インテリアショップなどを展開する企業
夢に向かって、進む時が来た
そして27歳の時、野見山さんは現在店長を務めるコーヒー店「STEREO COFFEE」の立ち上げに誘われます。
「『スターバックス』の同僚を通じてオファーをいただいたのですが、『ウィークス』がすごく好きだったので迷いました。でも僕には二十歳の頃から夢があって、それは30代で地元の飯塚に帰り、父が営むカメラ店の店舗を使って商売をするというもの。二十歳の頃にはぼんやりとした夢だったのですが、その頃には、DJとしてお世話になっていた『キースフラック』のスタッフに勧められて『カーネル深夜食堂』も始めていて、料理屋をやりたいという思いが強まっていたので、叶えるためには店づくりを一から経験することが必要だと思ったんです。『ウィークス』にも、入社する前からこの夢のことは話していたので、先輩・上司からも快く背中を押してもらえました」。
そこから「STEREO COFFEE」の社長ともう1人、『スターバックス』時代から、『いつか一緒に店をやろう』と語っていた仲間の3人でコーヒー文化の聖地とも言われるアメリカ・ポートランドを視察し、ミーティングを重ねてオープンした「STEREO COFFEE」は、自家焙煎ではなく、様々な店から取り寄せた豆を味わえるコーヒーのセレクトショップ的なスタイルを取り、さらに音楽やアートなど、カルチャーを体感できる場として福岡でも話題の店に。ここで野見山さんは4年間、店長としてコーヒー業務のほか、2階ギャラリーの企画やイベント運営、店舗マネージメントを担当してきました。
「『カーネル深夜食堂』も続けさせてもらい、1年前からは飯塚の実家に戻って通いながらだったので多忙でしたけど、ここでもたくさんの方に出会えて人生的にはかなりプラスになりました。ですがこの11月、ついに『STEREO COFFEE』 を卒業することに決めたんです。これから3ヵ月間は、東南アジアを旅しながら現地の料理を見て歩きます。帰国して3年くらいは知り合いの店の一部を借りながら店をやってみて、その後いよいよ、飯塚に自分の店を作るつもりです」
地元・飯塚を舞台に描く夢は、日々明確に
20代でぼんやりと夢を描きながら、自分のペースで進んできた野見山さんの頭の中には今、明確なビジョンが浮かびつつあります。
「世界を旅して味わってきた料理とコーヒーを提供する店。食材はできるだけ飯塚のもの、コーヒーは飯塚のロースターさんの豆、器も自分が大好きな飯塚の作家の方のものを使って…。営業時間は、朝から夕方。少し余裕ができたら、宿泊施設も作って、飯塚の拠点的な場所を作りたいですね。正直に言うと、あまり儲けようという意欲はなくて、望むなら、学生時代に僕が料理を作って、それを美味しく食べてくれる友だちが集まって宅飲みをしていたような場にできたらと思っているんです。あとはレシピ本や、グッズも作ってみたい。とにかく飽き性なので、面白いことをどんどん見つけながら、チャレンジし続けたいですね。そしてその頃には、『そういえば昔、深夜食堂ってやってたよね…』 なんて、しみじみ懐かしむことができたらいいなぁ(笑) 」
《将来は、本格的に展開できたらと、手始めに作ったオリジナルグッズ。ブランド名は「FOOD DELIVERY STUFF」。“STUFF”には「おなかいっぱい」という意味も》
もしも、100万円をもらったら?
そんな野見山さんに、最後の質問を投げてみました。100万円もらったら、何に使いますか?
「全力で旅しますね。今回は予算のこともあって東南アジアだけなのですが、100万円あったら、ヨーロッパにも足を伸ばしてみたいです。これまで、僕がアジア料理に惹かれてきたのは、まだヨーロッパの料理にあまり触れたことがないからという理由もあります。訪れるエリアが広がれば、自分の料理の幅も、どんどん広がるんじゃないかと期待しています」
「カーネル深夜食堂」店主 野見山龍太
1988年、飯塚市生まれ。幼い頃から料理をライフワークとして楽しみながら、雑貨店、コーヒー店、インテリアショップに勤務。一方、DJ「カーネル」として、20代からクラブイベントに参加。2013年からは不定期オープンの「カーネル深夜食堂」店主としても活動している(イベントスケジュールなどはSNSをチェック)。