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平成が終わり、時代は令和へ。平成の終盤に異常に発展した携帯電話やスマートフォン、インターネットなどの通信機器やインフラのおかげもあって、私たちの生活環境は平成元年の頃と比べるとその有様を大きく変えています。そんな、まだ通信インフラも整っていなかった平成時代にヤングと呼ばれた人たちはすでに30代後半から50代へ。働き盛り真っ只中で、まさに今の時代を引っ張っているかつての平成ヤングたち。そんな彼らが、今現在ヤングを謳歌している令和ヤングの悩みや相談にアンサーする新企画『令和ヤングと平成ヤング』。令和ヤングにもおなじみ、福岡のウェブメディア「AFRO FUKUOKA」では令和ヤングの生態にせまるお話しを、こちら「mymo」では今や賢者となった平成ヤングのアンサーを、それぞれのマルチアングルコラボとしてお届けします。
令和ヤングと平成ヤング #4
質問する人
令和ヤング 東ヨシアキ(24歳・モデル/俳優)
専門学校生の頃にスカウトされてモデル活動を開始。その後興味のあった演技の世界にも飛び込み、今では俳優として舞台やCMなど活躍の場を広げている。
答える人
平成ヤング 久保田 鎌介(Telas&mico オーナー)
1978 年生まれ、福岡県出身。20代でイギリスに渡り、海外の飲食店からシェフとしてオファーを受ける中、2010年に地元・福岡にて多国籍料理店「Telas&mico」を開店。
ー まずはご自身の学生時代や就職活動の時期のことをお聞かせください。
意外かもしれないですけど、学生の時は僕もともと飲食の業界にいなくて、工業大学で理系の大学生だったんですよ。だから同級生とかはみんなIT業界の人ばかりで、料理人になりましたっていうのは異色中の異色なんですよね。それに就職活動も特にしてなくて、大手のアパレルチェーンのお店で学生の時にバイトしてたんですけど、そのまま社員にという流れでして。結局大学で何を学んだの?ってくらい大学の学問とは違う道に進んじゃいましたね。
ただそのアパレルの会社も、正直もともと長く続けるつもりもなくて、やっぱり大手だけあって結構きつかったですし、将来どうしよっかなぁと思いつつもあっさり辞めてしまいました。さぁどうする?まぁとりあえず海外行って考えるか!みたいな感じでしたね当時は。語学力も一切なかったですけど、父が旅行代理店を経営していたこともあって海外にあまりアレルギーもなかったですし、まぁなんとかなるかと。行ってから考えるかみたいな(笑)
ー ではなぜその時に多くの渡航先からイギリスを選ばれたのでしょうか?
海外には行きたいけど銃社会とかは怖いじゃないですか。だからアメリカとかそういう銃規制のない国ははずしたりとか、地球の歩き方っていう本を読んだりとか、なんでしょうかこれといって決め手があったわけじゃなかったんですけど、イギリスのプリマスっていう港町があって、その町のことを本で知った時になんだかやけに惹かれたんですよね。それにちょうどその時に日本とイギリスとの間で「ユース・エクスチェンジ・スキーム」という制度が検討されていまして、まずはトライアルで参加者を公募するというからとりあえず応募してみたら当選しちゃったみたいな。
ー 何か目的というか、プリマスでこれをしたい!というものは特になく?
ないですね、無職ですし。とにかく海外に行って、海外で生活すれば英語はしゃべれるようになるだろうし、異文化に触れたら何かしら得られるものがあるかなみたいな、もうほんとそんな感じでした最初は。
ー イギリスへ行くにあたっての資金とかはどう捻出されたのですか?
資金といってもたかだか20万円くらいしか持っていかなかったですから、捻出もなにもですよね。20万円だけもって、イギリスのヒースロー空港に降りたはいいけど言葉も文化も交通ルールもわからないわけですよ。で、結局空港出てすぐタクシーに乗りまして、そのままプリマスのホストファミリーの家まで連れて行ってもらっちゃいまして。日本で言ったら福岡から京都くらいの距離あるんですけど(笑)それだけの距離ですから、もちろんタクシー代も5万円とかいっちゃって、到着したその日に手持ちの資金の4分の1を失うというくらいノープランでしたね。ホストファミリーも驚いていて、日本から変なやつが来たみたいに思われてましたね。
ー となれば当然働かなければお金が尽きてしまいますよね。
そうなんですよ。ホストファミリーのお父さんにも「お前そろそろ働けよ」みたいなこと言われるようになって、さすがにお金もなくなってきたしまずいなと、近くのホテルの中にあるレストランで雇ってもらったんですけど料理するでもなく。もう完全に雑用係でしたけど、それでも月々8万円とかもらえるようになって。考えてみたら僕にとって飲食業界に足を踏み入れた瞬間がそのタイミングだったんですよね。
ー ではその時から飲食業界への夢や目標が膨らんで...ということですか?
いえいえ、雑用ですから(笑)結局2年経ってそのお店からは「労働ビザ出すからイギリスに残ったら?」とも言ってもらえましたけど、同じタイミングで父が倒れたりしてやむなくあっさり帰国しちゃいました。帰国後は父が旅行代理店をやりつつやっていた坦々麺屋を改装してカフェを始めていたんですけど、業界のことを知るにつれ、いずれミシュランスターを持つような頂点のレストランを経験してみたいなっていう思いが少しづつ芽生えてきて。それに住み慣れたイギリスはミシュランスターの獲得店も多いですし、心残りがあるくらいならいっそもう一回行ってくるか!と一念発起して再度イギリスへ渡りました。
ー 料理人という夢を持って再度訪れたイギリスでは、思うようにチャレンジできる環境が整っていましたか?
イギリスの飲食業界ってとても割り切った考え方をしていて、日本ではひとつの店で長く働くというのが美徳のように扱われていますけど、そうではなくて、みんなコロコロ働くお店を変えていくんですよ。引き抜きとかキャリアステップとかが日常茶飯事なので、料理人ひとりひとりに日本でいう野球選手みたいにエージェントがついていて、条件交渉みたいなことを繰り返しつつ、腕や経験さえ磨けばどんどんステップアップできる環境があるんですよね。僕も結局5年いましたけど、その間10件くらい店を移ってます。イギリスは特に多国籍な料理店が多いので、イタリアンやフレンチはもちろん日本食の店やモダンブリティッシュのお店とか。ほんと次々ととてもいい経験をさせてもらいました。
なかでも、イギリスのキャリアで最後にいたお店は「ZUMA」といってイギリスのロンドンにあるとんでもなく大きなお店で、一日に800人くらいのお客様が来店されて、売り上げも一日で一億みたいな。ほんとにあんなに忙しいレストランはないんじゃないかってくらい常に賑わっているお店でしたが、そこのセントラルキッチンで鮮魚を担当させてもらってたら、モナコで店を開くから来ないかと、モナコまで実際に連れて行ってもらって、住む場所としてかなりな豪邸も用意してくれて...みたいな夢のようなお誘いももらったりしましたね。
ー スケールが違いますね...。でも結局モナコにはいかずに帰国されたと聞きました。
そうです。本当はモナコに行くつもりでビザを切り替えに帰国しただけだったんですよ。でもビザの切替って結構時間がかかるから、その間福岡の知り合いのお店で毎週水曜だけ好きにメニューを考えて提供するみたいなことをやってたら評判がよくて、それでまぁ福岡でやるのも悪くないかもって思って物件を探してたら今の場所に出会って。ただ、先に申し込みが入っていたようだったので、駄目元で申し込んでみたら選ばれて、みたいな流れで結局モナコ行きをやめて「テラス&ミコー」を開業することになりました。
ー ユース・エクスチェンジ・スキームもそうですし、テラス&ミコーもそうですけど、なんだか見えない力によって導かれている感ありますね。
そうなんですよ。実際屋台もそうで、あれももともとは今のお店だけだと正直ちょっと飽きてきちゃって何か違うことしたいなぁって考えてたら屋台の公募の話が降ってきて、あれよあれよというまに選ばれてしまったという(笑)何かしら一生懸命やってると周りがうまくやってくれるみたいなことってあると思うんですよね。
ー ちなみに今回の相談者は俳優を目指しているとのことですが、俳優こそ周りがうまくやってくれるみたいな見えざる導きが大事そうですよね。
ほんとそうだと思います。飲食もそうかもしれないけど、俳優というのは人気商売じゃないですか。人の応援が必要な職業って、僕は大義名分が必要だと思っていて、何かしら応援する理由っていうのがあるかないかで大きく変わってくる気がしています。俳優になるというよりは俳優にしてもらうみたいな感じでしょうか。とにかく一生懸命やってれば応援してくれるものですよ。逆に一生懸命やらずに小手先でなんとかしようとすると簡単に見透かされてしまう気もします。だから若いうちはとにかくお金のこととか気にせずにチャレンジしてみたらいいと思います。純真無垢な夢とか大いなる目標って、若いからこそまっすぐ追いかけられるみたいなところあるじゃないですか。そしてその姿が見ている人に応援したい!と思わせる何かになって、結果大きな流れに包まれて自分の夢に近づいて行くという。
ー 今後チャレンジしたいことはありますか?
これまでイギリスも含めて経験してきたことや人脈とかをフルに活かして、働く人が行き来できるようなお店のネットワークみたいなものをつくりたいなと思っています。公用語も英語にしてしまって、福岡とか日本とかに限らず、世界中のお店を料理人が行ったり来たりできる仕組みを作りたいんです。様々な本場の経験値をお店同士が料理人を介して交換できて、お客さんへ提供する料理のクオリティもあがります。料理人にとってもワーキングホリデーとは違ったプロの職人が留学と仕事を一度に経験しながら情報を交換しあえると思うんですよ。日本からみたら洋食の本場はヨーロッパですけど、向こうから見たら和食の本場はこちら側です。お互いに本場の経験をシェアできるという環境を整えるというチャレンジに今は興味があります。