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平成が終わり、時代は令和へ。平成の終盤に異常に発展した携帯電話やスマートフォン、インターネットなどの通信機器やインフラのおかげもあって、私たちの生活環境は平成元年の頃と比べるとその有様を大きく変えています。そんな、まだ通信インフラも整っていなかった平成時代にヤングと呼ばれた人たちはすでに30代後半から50代へ。働き盛り真っ只中で、まさに今の時代を引っ張っているかつての平成ヤングたち。そんな彼らが、今現在ヤングを謳歌している令和ヤングの悩みや相談にアンサーする新企画『令和ヤングと平成ヤング』。令和ヤングにもおなじみ、福岡のウェブメディア「AFRO FUKUOKA」では令和ヤングの生態にせまるお話しを、こちら「mymo」では今や賢者となった平成ヤングのアンサーを、それぞれのマルチアングルコラボとしてお届けします。
令和ヤングと平成ヤング #5
質問する人
令和ヤング 間所美羽(19歳・学生)
普段は心理学を学ぶ大学生。その傍らでカラコンメーカー2社の専属モデルやお菓子メーカーなど複数社のアンバサダーとしての活動も。
答える人
平成ヤング 相川 剛(TABLIER オーナー)
1977年生まれ、福岡県出身。イタリアへの語学留学、一般企業への就職などを経て「TABLIER」をオープン。独特のセンスとこだわりが詰まった店内には、季節を問わず多くの草花と相川さんの「好き」で溢れ、日々多くの人が吸い寄せられるように集まってくる。
ー まずはご自身の学生時代や就職活動の時期のことをお聞かせください。
そうですね、これといって何か夢や目標があったというわけではなかったのですが、東福岡高校を卒業した後、就学ビザを取得して実は2年ほど日本を離れてイタリアで生活していたんです(笑)
ー なぜイタリアだったのでしょうか?
イタリアって歴史も文化もサッカーもデザインも色も、なんだか全部がいいじゃないですか!それにイタリアっていう響きも(笑)それまで日本で見てきたものといろんなことが全く違っていて、当時の自分にしては全てが新鮮でした。それはイタリアじゃなくても同じだったのかもしれないけど、特に草花とか気候も違うし、季節の感じ方も違うわけです。自分の祖父が農園をやっていたという血筋なのか、そういう部分の違いっていうのはすごく実感していましたし、いまだにその情景を覚えていますね。
ー のちにTABLIERをオープンされるきっかけがそこにあったということでしょうか?
いや、そこまでではなかったと思います。よくよく思い返せばイタリアで感じた自然の面白さや草花への興味が今へつながったと「言えなくもない」というくらいです。お花屋さんで働いたことなんてなかったですし、当時はそれが将来の自分の仕事になるなんて全く思っていなかったです。ただ、イタリアのミラノの冬ってすごく寒くて、夜は毛布にくるまって寒さを凌ぐんですけど、ほんと心が何度も折れそうになるわけです。そんな時も、お腹がすいてひもじい時も、草花を部屋に欠かさず飾ったりして気分を保とうとしていた自分がいて、草花にだいぶ助けられたなという思い出はありますね。
それとすごく印象的に覚えているのは、むこうでは3月8日に男性から女性へミモザを贈る風習があって、その日の前後では小さい子がミモザをお母さんにプレゼントするために一輪もってたりする風景がたくさんあるんです。その風景がいいなぁ、美しいなぁと強烈に覚えていて、たぶん今このお店でミモザを扱っていたりするのも無関係ではないと思います。
ー ではイタリアからの帰国後はどうされていたのですか?
バイトしたり、普通にって言ったら変ですけど、就職していました。特にイタリア語が必要な企業というわけでもなく、流通系の大手小売企業に販売員として就職していました。好きな分野の仕事だったのですが、大きな組織の中で人に仕えたり、人の上に立ったりというのはあまり得意ではないとその当時にはっきり実感して、近い将来に自分のサイズでひとりでできる仕事をしたいなという気持ちは芽生えていました。
ー 実際にいわゆる「脱サラ」をしたのは何かきっかけがあったのですか?また、そこへ向けての資金とかは特別に用意されましたか?
一人でやろうと決めたのは、私が30歳を過ぎた頃に農場を運営していた祖父が亡くなったのが大きかったように思います。祖父の残した農園を誰かが引き継いでやっていかないといけなくなって、そこから3年ほど農家の修行に行きました。とはいえ、当時はどちらかというと草花よりも土とかの方に興味があって、農園を継ぐことは考えていませんでした。途中ペンキ屋になろうかなって考えたこともありましたし(笑)私、ペンキを塗るのが好きで、以前住んでいた家もそうですし、このお店もそうなんですけど、ペンキは自分で塗ってるんですよ。それに嫁さんもこれまたペンキ塗るのが上手なんです。だからペンキ屋いけるんじゃないかなって本気で考えたこともありましたね。まぁ人生長いんで、ふらふら寄り道するのも大切ですね(笑)
という感じで何をするかというのがはっきりしていたわけではないのですが、近い将来自分サイズで仕事をするということは決めていたのでコツコツとお金は貯めていました。お金は貯めてるぞ、さぁなにをする?っていう感じの二十代だった気がします。ただ、いきなりドンってお金をかけてビジネスを始めるというのも自分には合わないと思っているので、少しずつ自分が気に入ったもの、好きなものを揃えていったという感じです。
ー ゴール(目標)を決めてそれにむけて突き進んできた!というわけではないんですね。
そうですね。TABLIERは結局、草花がどうとか、ドライフラワーがどうとか、そういうスタイルありきで始めたお店じゃない気がします。十代の頃、二十代の頃の自分の興味や経験、実際に体験したことがここには詰まっているんですよ。だから花屋さんっていうカテゴリでもないと思っています。正直、何やってもどうせ儲からないじゃないですか、だったら自分の好きなことやできることをやりましょうっていうのが今カタチになっているのがこのお店のスタイルということなんでしょうね。だから草花以外にも、私の好きな絵本とかも実は結構並べていたりしますし、クリスマスやバレンタインの時期になると、シュトレンや焼菓子なんかも並んでいますよ(笑)
ー 夢や目標ありきというのが決して正攻法ではないということですね。
はい。結局今自分ができることというか、社会の中での自分の需要っていうのは、それまでの自分の経験からしか得られないものじゃないですか。センスとか才能っていうのももちろんあるかもしれないけど、まずは経験しておかないと、それはなにも勉強するとかっていうだけじゃなくて、見る知る触るみたいなのでいいと思うんです。だから夢とか目標を先に見つけようと焦る必要はなくて、その空白期間はとにかく自分の「好き」に任せていろんなことを経験したほうがいいと思うんですよ。そうすれば、いずれ目標ができた時に経験値から何か引き出してきて勝負できるかもしれないですね。
ー 今後チャレンジしたいことってありますか?
ビジネスという面で言うと正直あんまり考えていないです。それよりも子ども達がまだ幼いので、家族でどれだけ一緒の時間を過ごせるかって考えています。あとは自分の子どもに限らず、福岡のように都会だと、子ども達が草花とか土とか触れる機会も正直あんまりないと思うので、このお店やワークショップを通してそういう機会をたくさん作ってあげたいとは思っています。そう、何事も経験ということですね。経験しないと何も始まらないですもんね。