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ジャングルや砂漠など、人間には過酷な土地を走る人々がいる。若岡拓也さんもその一人だ。極地を走る魅力と、それを実現するためにどのように働いているかを取材した。すると「お金を得るために時間を提供する」だけではない、「自分の得意なものを掛け合わせる」という働き方が見えてきた。
Q.若岡さんは、なぜ走り始めたのですか?
もともとは金沢市で新聞記者をしていました。特にスター記者というわけでもなかった自分は、あまり明るい未来図を描けず、30歳になるタイミングで会社をやめました。今後のことを決めていたわけではありませんでした。
ある時ふと、取材でお会いした砂漠マラソンの経験を話してくださった方を思い出しました。「僕も砂漠を走ってみたいな」と思いました。今後の自信になるように思ったのです。ところがそのタイミングでは、その年の砂漠レースにはエントリーが間に合いませんでした。1年間待つということはその時の僕にはできず、他のレースを探して見つけたのが、「ジャングルマラソン」でした。
どういう準備をすればいいかを本屋さんで調べてみても、「ジャングル」と「マラソン」それぞれの本は見つかりますが、両方について書かれたものはありません。これは独学でトレーニングするしかないと、腹を決めました。
力試しに走ってみたところ、5kmも満足に走れません。そこから徐々に距離を伸ばし、さらにレース時を想定して10kgの荷物を背負って走れるように、3ヶ月のトレーニングを積みました。
Q.なぜ普通のマラソンではだめだったのでしょう? 「ジャングルマラソン」とはどんなレースだったのですか?
ですよね(笑)。フルマラソンの経験もなかったのに、ジャングルを走るイメージに取り憑かれてしまったようでした。ジャングルマラソンとは、ブラジルの北部のアマゾン川流域を1週間かけて275kmを走ります。自分の衣食住に関わる荷物を背負い、野営しながら進みます。短い日で一日30km、長い日は約100kmを走ります。
レース前に想像していたのは、「ジャングルというからには、湿地帯だろうから、足元はいつも濡れて湿度が高いだろうな…」ということくらい。ところがいざ現地に入ってみると見渡す限りの原生林に、膝上まで沈んでしまうような沼、人の背丈より深い川を渡るスポットも。「走りに来たのではなく、泳ぎに来たのか?」と思うような場所もありましたし、まるで登山のような場所もありました。
さらに道中には、タランチュラやワニ、ヘビなどの野生動物がいます。ある時など、参加者のブラジル人(彼は元軍人だったのですが)が、ふと足を止めてクンクンと匂いを嗅ぐのです。「なんだ?」と聞くと「ジャガーだ」と。臆病な動物だから、もし出会ってしまったら手を広げて大きく見せれば大丈夫だと言われましたが、まったく安心できませんよね(笑)。
もちろん身体的にも過酷でした。膝も痛めましたし、足の裏と靴の中が擦れて水ぶくれになり、針の上を走っているような痛みの時もありました。ところが不思議な経験もしました。ある地点で疲労と身体が限界のところまできました。(もうムリかも…)と思いつつ、むりやり一歩一歩足を踏み出し続けていると、ふいに身体が軽くなりました。すると、さきほどまでの苦痛が嘘のように、軽く走れるのです。極地ランをしていると、こういう人間の能力のポテンシャルに気づく瞬間が時々訪れます。
走っている最中は、1週間外界から遮断され、日常のことを考えずにすむ、シンプルな生活でした。確かに過酷でしたが、楽しいと感じました。
Q.ジャングルマラソン後、価値観などは変わりましたか?
もちろん達成感はありましたが、劇的に何かが変わった感じはしませんでした。帰国して、お風呂や布団の快適さを再確認したり、便利だけどこれは必要ないなと感じるものが出てきたり。日本の日常を客観的に見る目線は生まれたかもしれません。
ただ最近、自分の価値観が劇的に変わったわけではなかったけれど、その後の生活は大きく変わったわけで、間違いなくターニングポイントにはなっていたなと考えるようになりました。
Q. その後、福岡県上毛町に移住されます。極地ランに参加しながら、仕事はどのようにしているのですか?
知り合いから「上毛町で短期のライターの仕事があるよ」と誘ってもらい、移り住みました。その後、地域おこし協力隊として3年間活動しました。これは町の情報発信や移住促進を行うという仕事でした。
その間も毎日トレーニングをしながら、世界各地、日本全国の大会に参加しています。書くことや写真を撮ることを生業にしながら、走るという生活を送るようになりました。
またウェブのニュースサイトの更新の仕事をやっています。6時間程度のシフト制で、その時間ウェブに張り付いて、各新聞社のニュースから人々の興味関心が高そうな記事をピックアップしてタイトルを付け直し、再配信するというものです。これはインターネット環境があれば、世界中のどこでもできるのが魅力で、アフリカや南米など遠征先でも仕事ができます。
山の雑誌に掲載する700mほどの低山の記事を、メキシコの2000m級の高地で書いていたことがあって、なんだか不思議な気持ちになったことがあります。
受注する仕事だけでなく、自分自身が発信して稼いでいきたいという気持ちもあり、ジャングルマラソンのことを書いた著作『ジャングルを走った話』を自費出版しました。ウェブサイトから購入することもできます。いま第2弾のメキシコのレースについての著作を執筆中です。noteにも記事を書いていて、ある程度のボリュームが貯まったら、有料で読んでもらえるようにもしたいですね。
Q.ちなみに極地レースというのは、どのくらいお金がかかるのですか?
例えば、ジャングルマラソンは、エントリーに約35万円。装備を整えるのに10万。渡航費に20万円くらいでしょうか。
ある年、南極と砂漠3つでツアーになっているレースに参加しました。南極のエントリーに120万円、砂漠のレースに30〜40万✕3で、エントリーだけで240万円くらい必要でした。さらに旅費がかかります。この時はクラウドファンディングでみなさんに協力していただきました。
Q.上毛町では、ご自身でトレイルランニングの大会を立ち上げに携わられたとか。
「修験道トレイル in 上毛町」という大会で、毎年開催しています。上毛町にはかつて修験道が盛んだった松尾山があるため、そこを30km走るコース設計をお手伝いしました。この土地ならではの独自性を出そうと、希望者は5kgのお米を背負って走ることもできます。関東や関西からも参加者があり、去年は220人くらいの人たちが集まりました。
Q.若岡さんにとって、「極地ラン」のよろこびはどこにありますか?
行く先々で様々なことが起こりますし、土地の姿も多様です。一言で“砂漠”と言っても、色も砂の粒子の大きさも違います。極地ランをしていると、自分の身体を通して土地を見ている感覚がとても強いです。その場に自分の身体があることが面白く感じます。最初のレースに参加するまでは、続けるかどうかも分かりませんでしたが、一つのレースが終わると「もうちょっとできたかな」と次の山が見えてきます。それに挑戦しているうちに、今に至っている感じです。
いつか自分だけの強みができたらいいなと思っていました。今「走る」ことと「書く」ことを掛け合わせて、自分の仕事や生活が構成できるようになってきました。いずれか一つだけだったら弱かったことでしょう。お手本となる人がいないことを心細く思うこともありますが、それはだれも確立していない道だということでもある。だから勝手にやればいいやと、試行錯誤しながら日々過ごしています。
極地ランナー 若岡拓也
大学卒業後、地元新聞社で記者として6年半を過ごす。退職した2014年にランニングを始め、3カ月後にアマゾンのジャングルマラソンを完走する。年々フィールドを広げ、砂漠、山岳、雪上など国内外のレースに出場を続けている。走るかたわら、2014年に福岡県上毛町へと転居。町の空き家バンクのライター、地域おこし協力隊として勤務。協力隊の任期中(2015年6月〜18年3月)は、通常業務だけでなく、トレイルランニングレース「修験道トレイル in 上毛町」の立ち上げ、コース策定・整備を担当。そのほか、ランニングイベントの開催や、ゲストランナー、紙媒体やwebメディアで記事・コラム執筆なども。
2018年4月よりフリーランスに。ランナー、ライター、ニュースのキュレーションディレクターなどとしても活動中。