感情労働のその先は?2025年、哲学がお金になる時代のスタートだ!!
監修・ライター
ワタシ(中村修治)は、まったくもってシアワセ者である。お付き合いしている企業の全てが成長。昨年末に招待された某企業の経営計画発表会では、前年比150%の成長で総売上げ140億円弱の報告がなされた。平均年齢が30歳に満たない社員の皆さんがイキイキと明るい展望を語り続ける。
この会場で見えてきたことを言語化してみた。泥臭くて青臭い企業が発展を続ける。誠にオモロい時代が到来しているのだよ、きっと。
肉体労働→頭脳労働→感情労働の、その先は!?
産業革命は、18世紀後半から19世紀にかけてイギリスで起こった。機械化による生産性の向上や、石炭利用によるエネルギー革命によって蒸気機関の開発などが進み工場で働くという新しい肉体労働を生んだ。ヒトは、農業から工業へとシフトした。
情報革命は、情報技術の発展によって社会や生活が変革したことを指す。90年代初頭からコンピュータの処理速度の発展や普及によって新しい情報技術が活用された。インターネットの普及がその象徴である。若者たちは、肉体労働よりも頭脳労働を好むようになった。雨後の筍のように、コンルタントがウジャウジャ増えているのが昨今だ。
しかし、中途半端なコンサルタントは近いうちに淘汰される。生成AIという脅威にさらされているからである。それらしい答え、アテの外れていない答えらしきものは、生成AIさんが導き出してくれる。こうなるとヒトの労働は、他者を動かすための感情労働に移行していくと予測される。
では、その先は!?
ワタシがワタシであり続けること。
前述の150%成長を続ける企業の社長さんは、若いスタッフ達に「私は私であり続けよう。そして、凄いことをしちゃおう!!」と常に鼓舞している。「世界とは、見えてないところにあって、見てるということは、見ていないということ!?」などと、誠に謙虚なスタンスで問いかけ続けている。
生きるにしても、働くにしても、向き合うのは私という自分。若い人達が、自ら考えて、自ら動きだしてくれる理想的な自走式組織は、こんな哲学に支えられている。哲学の浸透なきマーケティング技術やアドテク※による成果は、持続しない。若い人達の答えが出ないことを考え続ける耐久力こそ、持続的な企業成長の基盤である。感情労働のその先には、哲学労働がある。哲学がお金=収益になる時代が到来していると確信した。
ビジョンやら、ミッションやら、バリューやら、近頃はパーパスやらと、企業にはそういうものが必要だと言われて久しい。先が見えぬ時代の不安を一掃するためには、一旦、美しいことを言語化したいのは、わかる。
しかし、与えられただけのミッションやパーパスには、限界がある。解った気にはなるのだが、腹に落ちない。持続しない。「ワタシ」が希薄だからである。ワタシを探求し続ける耐久力磨きナシには、どんなビジョンも絵に描いた餅である。
※アドテク:広告配信の効率を上げるためのシステム
「何を言ったか」より、「誰が言ったか」が重要になる。
デジタル社会は、知の探索を進化させている。生成AIが答えらしきものに近づく手段を加速化させている。要は、誰でも良いことを言えるし、論理的なことは整理できる時代に突入しているということである。「何を言ったか」に差が生まれにくくなる。
…ちゅうことは、同じことでも誰が言ったか!?で納得力が変わってくる。ヒトの感情を動かすためには、その言葉を発する「ワタシ」の覚悟や責任感が重要となり、その覚悟や責任感を発出するのは「ワタシは何者か!?」と考え続けている哲学。そして、答えの出ないことに向き合い続けてきた耐久力と決定力があってこそである。
問いの中に答えがある。
ずうっと昔、人類は宇宙と語り合って神話を生成した。自然と対峙して生きるために言葉を生み出し社会を形成した。なぜ死ぬのか!?なぜ生きているのか!?問い続けたら止められないから宗教なんてものができた。
デジタル技術の進化とインターネットの出現は、そこもまた壮大な知の宇宙である。こうなりゃ問うしかない。問い続けることの中にしか答えは見つからない。
2025年のスタートこそ「我思う、故に我あり」である。
問いのデザインこそが収益になる。
哲学がお金になる時代の到来だ!!