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『性教育のための予算』がない!!って日本の大問題じゃない!?

「お金0.2から2.0まで」新しい経済のルールと生き方を考える 中村 修治

『性教育のための予算』がない!!って日本の大問題じゃない!?

【画像出典元】「Roman Samborskyi-shutterstock.com」

ここ数年、思春期の男の子と暮らすシングルマザーの方々から、ワタシ(中村修治)に、息子に性教育して!!という相談が舞い込むようになった。そんなものだから、行政機関は、ちゃんと性教育予算を確保しているのか!?と検索してみたら、その実態は…ガッカリだよ!?

性教育—その予算は驚くほど曖昧!?

「性教育 予算」と検索したって、行政機関のサイトからは、何も出てこない。ハッキリと「性教育予算」とは確保しないのが、この国の方針のようだ。日本の義務教育における性教育—その予算は驚くほど曖昧。文部科学省は「生命(いのち)の安全教育推進事業」として予算を計上してはいるが、これは性暴力・いのちの安全に限定された枠組みで、広義の性教育(妊娠・避妊・LGBT・合意形成等)には明確に届いていない。

大きな問題は「性教育」が支援を最も必要とする家庭に届いていないという現実である。シングルマザーが増えれば増えるほど、家庭の教育機能は複雑化し、親が性について子どもに教える“余裕”も“構造”もなくなっていく。なのに、義務教育でその穴を埋めるどころか、黙認してやり過ごしてしまっている。教育で支えるべき世帯を、むしろ置き去りにしてしまっている現実がある。

性の話は、タブーじゃない!!

「鬼滅の刃」というアニメが大ヒットしたのは、ご存知のこと。しかし、このアニメにもPTAさまからケチがついている。『遊郭』の話はいかがなものか!?柱である甘露寺蜜璃の肌の露出はなんとかならないものか!?そんなチンマイことばかりチェック。性の話をタブー視するだけで何を解決しようというのか!?

「性教育って、教科書で“生殖の仕組み”を学べば終わりでしょ?」そう思っている大人が、いまだに日本には多すぎる。でも、本当にそれでいいのか?

性の話はタブーじゃない。性の話は、生活と人生の根幹だ。にも関わらず、義務教育の中で性教育にしっかり取り組もうとすると、学校も行政も、なぜか“やんわり”逃げ腰になる。言葉を濁す。予算も濁す。「予算は“保健指導”に含まれてますから」「地域の判断でやってください」――それは、つまり“やらない自由”を容認しているということだ。

たとえば、10代後半から20代前半の若者の多くが、性被害を身近に経験しているという事実がある。それなのに、そのリアルな危機に向けて、国としてどれだけ“本気”の性教育に投資しているかと問えば、答えはほぼ「ゼロに近い」。個別の自治体が努力している事例もあるけれど、継続性や全国展開にはほど遠い。

性教育は“未来への投資”である。

「性」は、学びの“道徳”ではなく、“知識と判断力”の問題である。「妊娠・出産・避妊・性被害・性差・合意」――このすべてに、“正しい知識”と“使える判断力”が必要だ。大人が勝手にタブー扱いして、子どもたちを現場に一人きりで放り出すのは、あまりに無責任だ。

そして何より、性教育にはお金がかかる。外部の専門家に依頼する。信頼できる教材を揃える。教員研修を整える。どれも「熱意」だけでは実現しない。予算なき教育に、責任はない。日本も、性教育を“個人の努力”や“家庭の問題”に丸投げするのは、そろそろやめたほうが良い時期になっている。

少子化対策の根本も、実は、ここらあたりにあるんじゃないか!?とも思う。未来を守るコストは、今私たち大人が払うべきものだ。性教育は、“未来への投資”であり、“社会のインフラ”なのだから。

“お金の話”の次は“性と死の話”を!!

このmymoというwebメディアが存続しているように“お金の話”は、ハシタナイものではなく、暮らしに必須のものとなった。お金の話をオープンにできる関係が、闇を照らし、不幸に陥る確率を下げていく。

お金の話の次は「性と死」である。昭和のオッサンたちがタブー視してきたことをオープンにして、そこに予算をつけていくことが大事だと考える。

現在、性教育の独立項目としてきちんと配分された予算はほぼ存在せず、保健体育費や研修費に曖昧に組み込まれているのが現実。これでは効果も継続性も期待できず、断片的な取り組みに終わってしまう。

生まれて来た意味。死んでいく意義。生きていくこと自体を豊かに捉えるための「性と死の話」を、ちゃんと学校でできないものなのか!?性教育を「生殖の仕組み」なんかで誤魔化している場合じゃないと思う。

行政も教育現場も、そして私たち大人も、本気で予算を向け、改善する責任があるでしょ!?福岡市がその先鞭をつけるのもアリだと思うけどなぁ…。