仕事がそこそこできる人が「ジリ貧」になっていくワケは
監修・ライター
ワタシ(中村修治)は、30年近く、福岡の放送局や広告代理店の人達と過ごしてきた。業界には、コミュニケーション上手の「そこそこできる風のヒト達」が多い。 でも、そこそこできることが幸せか?不幸せにも見えてくる。何故か、考えてみた。
『締め切りがないとなにもできない』『1週間あっても、1日であっても、成果にさほど差はない』短時間に、そこそこの成果を上げる・・・いわゆる業界の「できるヒト」達は、こういうことを良く口にする。思い当たる節があるヒトは多いと思う。
「そこそこできるヒト達」は、一旦、仕事にかかると・・・目標に向かって、走り出す。一番の近道を探す能力に長けている。他人から見れば、「いいとこどり」が、抜群に上手い。その「いいとこどり」も、思考が柔軟だから幅が広い。その上、個人的人脈もあるものだから、活きた情報を取り入れるのも上手い。そして、大概のことは、そこそこに上手く行く。
こういう人種は、若くして登場する。一つの才能みたいなものなので、あまり年齢に関係ない。では、若いそういう人種に、時間をたっぷりと与えたら、さらに凄い成果を出すかと問われれば、否である。そういうわけではない。何故か?
彼らの仕事は、モチベーションが全てであるから。気分的に盛り上がっている内に、パッと仕事を片付けないと、、、そのクオリティは落ちる。「やりたいこと」には、何でも手をつけたくなるし、何とかなりそうな気がしている。でも、飽きっぽい。
それが、業界にいる「そこそこできるヒト達」の特長だ。だから、結局、年収もそこそこ。全部が、そこそこなのである。
「やりたいこと」に何でも手をつける。何でもできそうな気がしている彼らに、長期的な人生設計を書かせるのは難しい。費やした時間に比例した成果を出すという概念がそもそもないから、ルーチンワークなどできるわけがない。回り道を知らない。バカらしい。
だから・・・・
わかったふりは得意だが、やれと言われるとできない。
泥にまみれて事を成した経営者にからきし弱い。
根気の前にかなわないことを身体でわかっている。
そんな手練のプロを追いかける術を知らない。
そうして、結局、そこそこできるヒト達は、永遠に満足することができないのだ。
その恐怖を感じているから、「やりたいこと」を探し続け、アクセスし続けるのだ。
そこそこのスパイラルは、そこそこに上昇し続けるが、その直径を極端に広くすることはない。そして、モチベーションが下がった時点から、下向きのスパイラルに変わる。
そこそこは、結局、ジリ貧なのである。
そこそこできるヒトの、最大の能力であり、弱点は・・・周りにある情報が全部繋がって見えていることにある。だから、全部、資産に見える。所持金ゼロでも、なんとかなると思っているところにある。ローリスクで、ハイリターンを、常に思考し続けられる能力こそ最大の武器であり、人生的にとっては、最大の弱点なのである。
業界のそこそこできるヒト達が、そこそこのジリ貧になっていくのは・・・他人の「お金」でしかコトを起こさないからである。結局、モチベーションが、他人の「お金」によって左右するところにドップリとつかっているからである。
ワタシ(中村修治)は、こんな世界に生きている。
そこそこできる人と言われて、はや30年である。