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国債ってそもそも何?赤字国債を退治する「松田プラン」の意味

松田 学のみらいのお金と経済 松田 学

国債ってそもそも何?赤字国債を退治する「松田プラン」の意味

新型コロナウイルスで緊急事態宣言とともに政府が決定したのが史上最大の緊急経済対策でした。これを実施するための二度にわたる補正予算で、2020年度の新規国債発行額は当初予算の32.6兆円から90.2兆円へと57.6兆円も増えることになりました。

本連載の前回の記事では、国の緊急事態なのだから、日銀が国債を無制限に買ってくれる以上、国債発行を渋る必要はない、ましてや、日銀が持つことになる国債は「松田プラン」でいずれ、デジタル円という便利なお金になるのだから心配ないと述べました。

では、もし「松田プラン」がなかったら、日銀が気前よく国債を買ってくれなかったら・・・。一般には、アメリカも日本もこれだけたくさん国債を発行するので、このあとが大変だと心配する人々が多いようです。では、そもそもなぜ、国債発行は望ましくないとされてきたのでしょうか。今回は、あまり知られていない国債の本質についてお話いたします。

国債が増えるのがいけないこととされている理由

最近ではMMT(現代貨幣理論)が現われ、自国の通貨で国債を発行している限り、経済がインフレで困ることにならない範囲なら、財政支出を増やすためにいくらでも国債を発行して問題ないと説いています。ただ、これは各国の政策当局の考え方にはなっていません。
財政状態が先進国で最悪の日本だけでなく、どの国々も、財政運営に当たっては、極力、国債の発行を少なくするよう努めています。なんとか国債発行残高を減らす・・・これが多くの国が採っている財政健全化目標です。

いきなりそこまで行けない日本は、プライマリーバランス、つまり毎年度の国債発行額が国債の元利返済の金額の範囲内に収まる状態を達成することを目標に掲げています。支出を抑え、税収を増やし・・・でも、その目標達成にはほど遠く、しかも、いつか達成されたとしても、ほかの国からみると中間目標を達成するに過ぎません。それでもまだ国債発行残高自体は増え続けるからです。
各国の財政当局が国債発行を抑えようとする理由は、主として、次の3つです。①本来ならもっと生産的な投資に回るはずの民間のお金を政府が吸収してしまう。結果として金利が上がる(クラウディングアウトと言います)。②政府がいずれ国債の元利の返済ができなくなって財政が破綻する(デフォルトと言います)。③将来の国民が国債の元利返済のための税負担に苦しむことになる(子や孫への「ツケ回し」だと言われます)。

ただ、①については、デフレのときはあまり問題になりません。民間の資金需要のほうが足りないのですから。現在は多くの主要国で中央銀行が国債を大量に買っています。だから、金利が大きく上がって困る状態でもありません。
また、②についても、日本はあまり関係ないでしょう。ギリシャのように財政が破綻するのは、外国からの借金が多い国です。日本は国債のほとんどを国内の金融機関や投資家が買っています。それだけでなく、日本は世界ダントツ一位の対外純資産国であり続けている国、元利が払えなくなるデフォルトになることは、まず考えられません。

そもそも「財政破綻」とは何なのかという問題もあります。日本の場合についていえば、国債に対する信頼が低下して国債の市場価格が下がる(国債の金利が上がる)場合が考えられます。そうなると、国債をたくさん持っている銀行の資産が劣化しますので、銀行の融資対応力が低下し、経済のお金の回りがストップするという信用収縮の事態に至る可能性があります。2010年に起こった欧州債務危機がそうでした。これは財政がもたらす経済破綻のようなものです。
ただ、異次元の金融緩和を進めているいまの日本では、日銀が国債を大量に買っていますから、国債の価格は大きくは下がらないと認識されています。

建設国債はOK、赤字国債は本来は禁止

問題は③だということになります。ただし、民間企業や家計でもそうですが、借金をしても、それで良い資産を残すのであれば、つまり、資産の価値と負債の金額がバランスシートで見合っているのであれば、借金しても問題ないと考えるのが一般的でしょう。
国の財政も同じです。将来の世代に道路や橋などのインフラとして資産を残すための国債発行であれば、将来の世代もそのインフラを使うわけですから、その世代が国債の元利返済の負担をしても、受益と負担が見合っていると考えることができます。
日本の財政運営の基本原則は「非募債主義」、つまり借金をしないことが原則ですが、こうした趣旨から、財政法第4条で、政府の支出のうち公共事業や貸付金や出資金は資産になりますので、その財源であれば国債発行が許されています。この場合の国債を「建設国債」(4条公債)と言います。

むしろ、将来の世代に残る資産であれば、いまの世代だけでなく将来の世代にも受益が及びますので、国債を発行して負担を各世代にならしていくことが公平であり、合理的でしょう。政府の公共事業の財源は基本的に建設国債によって賄われています。
しかし、税収が不足するからといって、これ以外の使途のために政府が借金をすることは原則禁止。資産を残さず、ツケ、つまり負担だけを将来世代に残す借金になってしまうからです。そのような借金は「赤字国債」と呼ばれ、特例公債法という法律をつくって、あくまで例外ということで特例として発行されています。特例公債とも言われます。

ところが、財政状況が悪いため、この例外が常態化し、赤字国債は毎年度の発行額(20年度当初予算で約25兆円)も発行残高(20年度末見込みで約625兆円)も、建設国債(20年度発行額約7兆円、20年度末残高見込み約275兆円)を大きく上回っています。
こうなった最初のきっかけは、第二次石油ショック直後の不況で税収が大幅に不足した1975年度予算でした。このときの大蔵大臣で、その後、総理大臣になった大平正芳氏はこのことを最後まで悔やみ、将来に負担を残さないよう、いまの世代で早期に償還すべきだとおっしゃっていたそうです。当時は一時的な発行だったつもりでしたが、その後、バブルの時期を除き、日本の財政は一貫して赤字国債の発行に依存してきました。

国債の種類と60年償還ルール

日本では国債を60年かけて全額返済する「60年償還ルール」が営まれています。10年が満期の国債でも、10年後に税金で返すのは6分の1、残りは「借換債」という名目で国債を発行して返すということを6回繰り返して60年。つまり、政府が借金をすると30年後の子の世代、60年後の孫の世代まで、その返済のための税負担が続くことになります。
こうした60年償還ルールという「減債制度」、つまり国債残高を減らしていく仕組みを営んでいる国は世界のなかで日本だけです。財務省はこれを財政規律の根本と位置付け、毎年度の一般会計予算には、国債の金利を支払う利払費(20年度当初予算で約8兆円)のほかに、国債発行残高の60分の1に相当する元金の返済費用として「債務償還費」(同約15兆円)を計上しています。
ところが実際には税収が足りず、これら国債費を賄うために毎年度、新規に赤字国債を発行しています。ですから、国債残高はこの「減債制度」によって減っているというところまでには至っていません。つまり、税収によって国債を返すというのではなく、国債を発行して国債を返すという「自転車操業状態」になっています。60年償還ルールは「減債制度」としては実質的には機能していないといえます。

国債には、以上のような、国の歳入として毎年度の予算で新規に発行される①赤字国債(20年度当初予算で約25兆円)と②建設国債(同約7兆円)のほかに、③過去に発行された国債を返す財源を調達するために発行される借換債(同約108兆円)があります。これらは最終的には税金で返さなければならない国債であり、「普通国債」と呼ばれます。
そのほかに、政府の貸付金の財源として発行されるため償還は税金ではなく貸付金の返済で賄われることになる④「財投債」(同約12兆円)がありますが、財政問題とは将来の国債返済の税負担の問題なので、①~③の普通国債の残高が議論の対象になります。
20年度当初予算での国債発行額は①~④を合わせて153兆円にのぼります。新型コロナ対策で二度にわたり補正予算が編成されましたので、これに伴って国債発行は99.8兆円追加され、20年度は253.3兆円もの国債が発行されることになりました。
上記のうち、①と②が毎年度の一般会計の歳入に計上されます。③の借換債は国債整理基金という特別会計が発行しており、60年償還ルールを営むため国債発行額のなかでは最も金額が大きくなっています。国債残高が莫大ですから、当然、そうなります。

赤字国債も60年償還ルールに入れた大蔵官僚の手口

国債は60年かけて償還されると述べましたが、建物の耐用年数が一般に60年となっていることと見合うものなのでしょう。ということは、これは公共事業で施設を建設する建設国債が念頭にあるルールだということになります。問題は、こうした資産を残すわけではない赤字国債まで60年償還ルールが適用されていることです。

これは前記の大平正芳氏の思いを裏切るものです。いまは主として社会保障で増えているのが赤字国債。ツケだけが残る国債なのに子や孫の世代に負担をさせる。親としてとても罪なことなのですが、実は、1975年度に赤字国債の本格発行に追い込まれた当時の大蔵省が、これも60年償還ルールに入れてしまったのです。10年で返すよりも60年かけて返したほうが、毎年度の財政負担は小さく、予算も編成しやすいからです。「これには理屈がなかった」…大蔵省の私の大先輩が退官後、そう、つぶやいていました。

この財政当局の都合の結果、国民にとって国債発行の痛みは小さくなり、これも日本が赤字国債に依存し続ける原因の一つになったのかもしれません。このことも罪なことです。

親心としての消費税増税と赤字国債

さて、安倍政権のもとで2014年と19年の二度にわたり消費税率が10%まで引き上げられました。この消費税は、多くの国民にあまり正確には理解されていないことなのですが、その税収の全額が年金、医療、介護、子育て支援といった社会保障給付に充てられています。ですから、国民の誰かが負担した消費税は国民の誰かへの社会保障給付(年金給付、医療や介護や保育園などの自己負担分の軽減)として全額、還元されています。

つまり、消費税は政府の政策経費とか議員の歳費とか公務員の給与とか補助金などには充てられていませんし、法人税減税の財源などにもなっていません。政府は国民から国民へのお金の移転を仲介しているだけです。ですから、消費税を増税しても、全体としての国民負担は増えず、マクロ的には景気を悪化させないはずなのに、景気を悪化させました。
なぜでしょうか。実は、社会保障とは一種の保険システムです。基本は現役世代が負担している社会保険料によって財源が賄われるべきものです。しかし、高齢者が増えて現役世代の人口比率が減ると、社会保険料では賄えなくなり、そこで、政府が公費を投入して社会保障給付の財源を補っています。この公費に消費税の全額を充てても必要額の半分ちょっとぐらいにしか届きません。残りを赤字国債を発行して60年にわたって子や孫の世代に負担をツケ回しすることでいまの社会保障が維持されています。

野田政権のときに自民党と公明党と民主党の三党が合意した「社会保障と税の一体改革」では、消費税率を5%から10%へと5%引き上げて、うち8割の4%分はこれまでの社会保障を維持する財源を国債から消費税に置き換える形とし、残りの2割の1%分だけ、社会保障給付を新たに増大させることとしました。これは何を意味するでしょうか。
将来世代に負担を回していた分を自分たちの世代で負担しようというのは、子どもや孫たちのために親としての責任を果たすという意味で、道徳的な正義です。消費税の増税は、そのために行うもの。しかし、それは私たちの世代の負担を増やします。増税のうち2割分は社会保障給付が増えるかたちで国民に還元されますが、この「正義」の部分は、私たちの世代にとっては純粋な負担増です。2014年のときの消費税増税(5%から8%にアップ)のときは、この部分が8割もあったのですから、景気が悪化したのは当然です。

では、なぜ8割もあったのか。それは、社会の高齢化で社会保障の給付が増え続けているのに、前回の1997年の消費税増税(3%から5%にアップ)から17年間も増税が先送りされてきたため、この「正義」の部分がその間に、膨らんでしまったからです。私たちはすでに、これまでの将来世代への負担のツケ回しの被害を受けていることになります。
景気の悪化に懲りた安倍政権は、19年の2%の増税のときは、教育無償化を消費税の使途に加え、国民への還元分を2割から7割に増やすなど、景気への万全の配慮をしました。しかし、その効果が現れる前にコロナショックで景気が大幅に悪化してしまいました。

経済成長でもインフレでも減らない国債の負担

私がこのような説明をすると、インフレになったり経済が大きく成長すれば赤字国債は将来の世代にとって実質的な負担にならなくなる、それは間違いだ、と反論される方がたくさんいらっしゃいます。でも、簡単な算数をすれば、そうした反論が間違いであることがすぐにわかります。

前述のように、日本政府は財政再建目標としてプライマリーバランス(基礎的財政収支、以下「PB」と表記)の達成を掲げています。これは国債発行額が国債費(利払費と元本償還費の和)と一致するところまで減った状態のことを意味します。現在、国の財政はPBに届いておらず、その差額分の「PB赤字」の額は20年度当初予算で約9兆円。元本償還費分の国債発行は、国債発行をして国債を返すわけですから、国債残高を増加させませんので、国債残高は、利払費とPB赤字分だけ、毎年度、増えていくことになります。

PBが達成されれば、利払費の分だけ国債残高が増えることになりますので、国債残高は金利(利率)と等しい増加率で増えることになります。PBのもとでは、金利と経済成長率とが同じ水準なら、その年の国債残高=前の年の国債残高×(1+金利)に対し、その年の名目GDP=前の年の名目GDP×(1+名目経済成長率)なので、前者を後者で割った「国債残高のGDPに対する比率」は一定になります。

日本が財政再建目標として、こうしたPBの達成をめざしているのは、国債残高/GDP比率、が上昇しないための条件の一つが成り立つようになるからです。
もう一つ必要な条件が金利と名目経済成長率が一致することであるのは言うまでもありません。ところが、昔のバブルの時や、現在の異次元の金融緩和政策による異常な超低金利といった例外的な時以外は、金利が名目経済成長率よりも高いのが正常な状態です。日本がインフレ率2%目標を達成した時には、金利が正常化していますから、金利のほうが名目経済成長率よりも高い普通の状態に戻ります。そうなると、PBを達成していても、上記の分子が分母を上回り、国債残高のGDPに対する比率は上昇していきます。

ましてや、PB未達成の状態では、この比率の上昇はさらに大きなものになります。経済に占める国債のウエイトが上がっていくのですから、将来世代にとって国債の負担が実質的に減るどころか、インフレによって逆に、増えてしまいます。

正常性バイアスに陥っているMMT(現代貨幣理論)

MMTは、インフレになるまで国債発行を増やし続ければよい、インフレになったときに減らせばよいのだから、と主張しています。しかし、いざインフレになったときに金利(>名目経済成長率=実質経済成長+インフレ率)はインフレ率よりもずっと高くなって、利払費のために発行しなければならない国債が雪だるまのように膨らみますから、国債発行を減らそうにも減らせず、アンコントローラブルな状態になるのではないでしょうか。

「正常性バイアス」という言葉があります。人間には、現在の心地よい状態が異常であっても、イヤなものは見たくないという心理が働いて、現在の状態が正常な状態だと思い込む傾向があります。いまはアベノミクスで異常な低金利なので、金利が名目経済成長率を下回っています。この状態が続くと仮定すると、PBが達成されていなくても国債残高のGDP比率は低下を続けます。政府の試算も今後、10年近くにわたってこの状態が続くと仮定して、この比率が低下を続ける絵を描いていますが、このような仮定を置けば結果として当然そうなるので、トートロジー(同義反復語)のようなことを言っているようなものです。

そんな状態がずっと続くと、必ず起こるのがバブル。バブルは必ず崩壊します。日本はバブル崩壊で失われた20年、30年を経験しました。「正常性バイアス」の落とし穴から目を覚まさないと、冷静な財政論議はできません。

民主主義に反する赤字国債で格差が拡大

このほかにも、国債は政府にとっては負債であっても、国債を保有する民間にとっては資産なのだから問題ないという主張があります。確かに、国債をもっている人からみれば、それは元本とともに金利が返ってくる資産です。問題は、その資産が何によって裏付けられているかです。建設国債ならインフラという資産に裏付けられます。企業が発行する株式や債券であれば、企業の生産活動を通じて生み出される富に裏付けられます。

しかし、こと赤字国債となると、それは富を生み出さず、将来世代の税負担によって裏付けられた資産だということになります。
また、日本のように国債のほとんどが国内で消化されているのだから、それは家の中でお父さんがお母さんから借金しているようなもの、何も問題はないという主張もあります。
これもよく考えてみれば、正しくありません。なぜかというと、将来、国債が税金で返済されるときに、国債を持っている人にお金が渡るそのお金は、広く、一般国民に課税するかたちで集められます。国債を持っている銀行や金持ちに対して、国債を持つ余裕のない一般庶民からもお金が渡されることになって、格差は拡大するでしょう。国債残高が多ければ多いほど、将来世代において所得分配の不平等化が大きく進むことになります。

さらにいえば、いまは一般会計(20年度当初予算総額102.7兆円)のうち4分の1強(同23.4兆円)を占める国債費が、いずれ、3分の1に、そして半分に・・・と膨らんでいくと何が起こるでしょうか。将来世代の方々は、働いて税金を納めても、そのうち半分が、過去の世代の社会保障の返済に回ってしまい、自分たちのための公共サービスに回る部分が半分しかないことになります。
私たちの世代だと、納めた税金の8割近くが公共サービスで返ってきているのに、子や孫の世代だと半分・・・?となると、これは世代間の大きな不公平です。民主主義で税金の使途を決めようにも、選択の自由がきく範囲は大きく狭まってしまうのは、その世代にとってはいかにも理不尽。選択の自由を旨とする自由主義の考え方に反します。

これは、こんなことを決めた現在の世代の意思決定に対して将来世代は投票権を行使できないのですから、民主主義の考え方にも反するといえます。

「投資国債」は増やすべし

ただ、こうした弊害は将来世代に資産を残さない赤字国債の問題です。建設国債ならあまり問題にはなりません。とはいえ、先に見た財政法第4条は、ちょっと考えものです。出資金や貸付金以外に、公共事業だけOKというのは、実物資産しか資産計上できない古い時代の会計を前提にしているからです。

政府がつくる資産は「トンカチ事業」以外にも色々とあるはずです。いまや経済価値の多くの部分を知的財産などの無形資産が占めるようになっています。民間ではそれらを資産計上することが進んでいます。科学技術振興費など、将来に向けて生産性を向上させていくような政府支出であれば、これを広い意味での資産とみなすことができるはずです。人的資本への投資もそうかもしれません。

私は財政法第4条を改正して、こうした無形資産も含めた広義の「政府投資」の財源として、建設国債から「投資国債」へと、国が発行することが許される国債の範囲を広げるべきだと主張しています。財政再建で赤字国債を減らしても、それ以上に投資国債の発行を増やして政府投資を推進すれば、景気にはむしろ良い影響を与えるはずです。

このようにみてみると、財政規律の焦点が、「赤字国債を減らす」ということに絞られてくることがお分かりかと思います。現在のように、赤字国債も建設国債も区別なく、言葉はよくないですが「ミソもクソも一緒」に60年償還ルールを一律に適用し、とにかく国債は減らすべきだという考え方から脱却しなければ、経済と財政の両立は達成できません。

PB目標も投資国債を外して、もっぱら赤字国債について設定すべきものでしょう。そうした財政運営の改革が望まれます。前述のように、対外純資産残高世界ダントツ一位の日本は財政破綻からはほど遠く、国債全体を何が何でも減らさなければならない状態にはありません。むしろ、国内で有効な投資が不足していることが問題なのですから。

デジタル円で財政健全化を実現する「松田プラン」

本連載でも論じてきました「松田プラン」でも、赤字国債を消すということが大事な目的の一つになっています。国債には何種類かあると述べましたが、それは国債の使途に応じた分類にすぎません。「国債」という金融商品は、使途による色目はついていません。

ですから、日銀が保有する国債(20年3月末で486兆円)は全額、赤字国債(20年度末で625兆円も発行残高があります)だとみなせば、「松田プラン」では、これを「デジタル円」で償還することで消していくことになりますので、まさに財政規律に最も大きく寄与するプランだということになるわけです。

もう一つ、「松田プラン」が財政再建に貢献するのは、日銀保有国債をデジタル円に変換するというバランスシート上の「ストック処理」を通じて、将来、金利が上がっても、毎年度のフローとしての財政への圧迫を大きく軽減できるということがあります。

もし、日銀保有の国債のほとんどがデジタル円に姿を変えれば、国債発行残高の半分が消えますから、将来の国債利払費も半減します。金利の上昇による利払費の大幅な増加を抑えて、その分、他の政府支出にお金を回したり、消費税率の引上げをできるだけしなくても済むようにすることができることになります。

本連載の前回(https://mymo-ibank.com/money/3592)では、新型コロナウイルスのような緊急事態においては、限度なく国債発行を増やすべきだと述べましたので、一見、私の主張が財政規律に反するようにみえたかもしれません。今回は、決してそうではなく、「松田プラン」が実は、財政再建の上で最も有効な道であることをご理解いただけたものと思います。

ただ、「デジタル円」は新しい通貨です。国民にはなかなかなじまないものかもしれません。次回は、その先駆けになるものとして、地域通貨のお話をしたいと思います。