『フリーランス同然の私が“不労所得”で暮らせている』7つの理由
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監修・ライター
ヒットソングを創作したわけでもない。ベストセラー作家になったわけでもない。セミナーなんて滅多にやらない。有限会社ペーパーカンパニーなんて怪しい企画会社の経営者であるワタシ(中村修治)は、株や不動産に投資するほどの原資も持たない。
しかし、還暦の現在、ほぼ不労所得で食えている。30数年フリーランス同然の、このワタシがである!?何故なのか!?くたばる前に整理してみた。
1.時間は有限だと知る。
有限の概念のないところに、選択はない。選択のないところに、集中もない。皆、平等に1日は24時間。何でもかんでも手を出していたら、何も成すことができない。ワタシは、企画書を書くことに何十万時間も費やした。企画会議でまとまったことを、話せば済んでしまうことを、改めてしたためる。他者がいちばん面倒だと思う時間を引き受けた。そんな面倒なことを率先する人はいなかったので、なんとか食えるようになった。
2.口約束を守る。
明日の朝までと期限を約束したなら、今夜、徹夜をする。明後日までと言われたら、その前日の夜に、徹夜する。プレゼンには、遅れず出席する。多少、誤魔化すことはあったものの...契約書も何も交わさない商習慣の中で、口約束を守り続けた。負けても、負けても、約束だけは守った。笑
3.出た目こそ正解。
やったとおりしかならない。出た目は、すべて正解だと理解する。なので、反省はするが、後悔はしない。俗にいう「運を天にまかせる」「人事を尽くして天命を待つ」という言葉が近い。すべての負けは、豊穣な負けと捉える。騙されたら騙された。そんなもん次へのネタである。後悔することに時間を費やしている場合ではない。過去はいくらでも改ざんできる。以上!!
4.すべては、一旦、真に受ける。
相談されたことや頼まれたことは、一旦、真に受ける。プランナーなんて怪しい職業には、眉唾のハナシなど、いらないくらい舞い込む。そんなことは百も承知で仕事の依頼を受ける。頭の訓練である。心の鍛錬である。ぜーんぶ、ワタシなりに自己完結させる。箸にも棒にもひっかからなくても、とりあえずこなした。そうやって数千の企画書から、花開いた新規事業がある。スタートアップとして起業した会社がある。
5.お金より“時間と言葉の投資”。
ワタシには、投資するほどの潤沢なお金がない。あるのは、時間と企画書を書き続けてきた経験だけである。だから、目の前に悩んでいる人がいたら向かい合い続ける。悩むことは意味がないと思っている。一緒に悩むというのはバカげたことだ。仕事は何かを生み出すためにあるものであり、変化を生まないとダメ。そのために、寄り添いなんとか言葉を尽くす。伝わらなかったらそれまでのことである。
6.GIVE & GIVE & GIVE & GIVE &...TAKE。
最初からTAKEありきでの話はしない。特に、新規事業相談や独立起業の相談は、無料で受ける。企画書書いても、タダ。伊達と酔狂で付き合う。最初から、お金を目的にしたら、眉唾バナシなど真に受けられない。面白くなくなる。ワタシは、いくつになっても夢みるバカなプランナーである。なんでも計算できる賢いコンサルタントではない。
7.保身と執着は大敵!想ったことは伝える。
数千の企画書を書いて、数千のプレゼンをこなして、数百の企業と出会った。その中で、還暦になった今でも継続して付き合えているのは十数社である。ワタシをいま支えてくださっている企業の社長さんたちに共通しているのは、建前ではなく、なんでも話せるということである。想ったことは、引っ込めずに、伝える。自ずと引っ込めてしまう相手とは、長いお付き合いはできない。保身と執着が大敵。そういう原理を50歳を過ぎて知った。
ということで、ワタシの“ほぼ不労所得“は、いくつもの企業の顧問契約がベースとなっている。25年以上、お付き合いが続いている企業もある。まことにありがたい。
1986年に、広告業界に入った。ワタシなど、メインカルチャーへも、大手の広告代理店さんへも、未だ“ルサンチマン”を抱えたままのプランナーである。“ルサンチマン”とは恨みの念のこと。ニーチェは、強者に対し仕返しを欲して鬱血した弱者の心だと表現している。
ブランドもない。
利権もない。
ヒット作もない。
弱者には、弱者なりの不労所得の得ようがある。