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“ガンの告知に義母の訃報”還暦夫婦を襲う現実の明るい切り抜け方

「お金0.2から2.0まで」新しい経済のルールと生き方を考える 中村 修治

“ガンの告知に義母の訃報”還暦夫婦を襲う現実の明るい切り抜け方

【画像出典元】「yan-adobestock.com」

「開腹手術をして病理検査をしないと悪性か!?良性か!?正確には、わからない」と担当医から直接お話を伺ったのは、2024年1月9日のお昼。カミさんが卵巣ガンであるという事実を、担当医から直接聞いた。ステージは浅いので、スグの心配はないと言われてはみたものの…実父を膵臓ガンで亡くしている身には、キツい。いつも能天気なワタシ(中村修治)は、モロかった。

カミさんの快諾も得たので、結婚34年目の夫婦に起こった年末年始の一部始終をここに記しておく。

婦人科の定期検診でひっかかる!! 

「検査の結果、悪性腫瘍の可能性が高いという事で、そのまま済生会病院に診察に来ています」というLINEがカミさんから届いたのは、2023年12月13日の午前10時44分。

実家の豪雪被害は、うまく切り抜けたワタシではあるが、この告知だけは、どうしようもない。門外漢とは、このことである。何もできない。決して悪い方向に進行しませんようにと、祈ることだけである。

ラッキーだったのは、カミさんが婦人科の定期検診を真面目に受けていたこと。子宮や卵巣のガンは、痛みを伴わないため知らないうちに進行するという。早期発見ができただけヨシとしておく。

ステージはまだ浅いし、転移も見られないというので…開腹手術は、1月29日に即決定。その手術の説明をするので、旦那さんと来院くださいっていうのが前述の1月9日。手術まで1カ月以上もあるじゃん!?大丈夫なのか!?ココロがざわつく45日がはじまった。

ゴミは、捨てにいく!! 重い荷物は、持つ!!

恥ずかしながら…この45日間に、ワタシが出来たことは、家のゴミを捨てにいくこと。買い物につきあって、重い荷物を持つこと。直接できたことは、たったの2つ。あとは、祈ること。できるだけ、重い話に振れるような発言はしないこと。要は、なんもできないということである。

告知を受けてからでは遅い保険の見直し!?

既に、手術することも、入院することも決定している。当然、保険に入っていたから、確かめる。30年近く放っておいた保険の内容を見てビックリ。ワタシとカミさんにかけている疾病や入院に関する保険の額が、倍以上違う。こんなに格差をつけることが、30年前は、当たり前だったのか!?隔世の感がある。

ガンの告知を受けてからでは遅い。保険等の見直しをずっと先送りしてきた結果が、これである。健康について。命について。お金について。このあたりを再定義するというのは、定年に近くなった夫婦の大きな課題だと知った。

元旦!!帰省した娘たちに知らせる。

横浜に住む娘たちへ知らせるのはいつにするのか!?LINEで済ませるようなことではない。余命宣告をされたわけではないので大袈裟にすることでもない。カミさん自らが知らせるのもなんだかダメだな!?さりげなく、大事にならないように…旦那として最大の配慮をしてみた。

ちょうど、2024年の1月1日の夜に、福岡空港で4人揃って夕飯を食べる機会がある。このタイミングに、夕飯も終わろうとする時間帯に、そぉっとハナシを振ってみる。カミさんがポツポツと娘たちに伝える。

結果は、意外とあっさり。笑
卵巣や子宮の疾病の情報や経験は、女性たちにとっては、唐突に驚くべきことではないのだなぁと思い知る。慌てていたのは、父ちゃんだけだ。

4時間半の手術の間、ずっと頭痛が…

2024年の1月29日8時半からの執刀。朝早く起きて、近くの氏神様に、参拝。8時頃に、手術服に着替えたカミさんと面会。2~3分余り。ハグもできない。かっこいいことも言えない。頑張れ!!なんて、頑張りようもないはずなのに、そんなことでお茶を濁す。

そのあとは、手術している家族だけの待合室で、終わるのをじっと待つ。

電光掲示板に、手術の経緯が表示される。それを、何度も何度も、確かめるだけの4時間半。なぜか知らないが、頭がズキンズキンと痛くなってくる。こういうのをストレスというのか!?常日頃、妖精になりたいなんてホザイているオッサンは、還暦過ぎの生身の人間である。モロい。

電光掲示板

2024年1月29日13時前に、手術終了の通知が電光掲示板に。しばらくすると執刀をしていただいた先生が降りてこられて個室へ案内される。どうでした!?と聞くと「子宮と腸の癒着に手こずりましたが、腫瘍自体は、悪さをしていませんでした。念の為、病理検査には出しますが、今後、抗がん治療をする必要はないと思われます。」と。

ぁああああああああ…カミ様!!神様!!仏様!!ご先祖様!!みんなに感謝である!!

執刀していただいた先生に深々と頭を下げて、手術直後のカミさんに会いにいく。多くの管につながったカミさんが、うっすらの目を開けて「アッという間に終わってた」と感想を述べてくれた。こちとら、4時間半も頭痛と戦っていたとは言わずに、良かった良かったと、病室を後にした。その頃には、頭が痛いのも忘れていた。

術後のカミさんの写真を添えて娘たちにLINE “ いま手術終了! 4時間半、お疲れ様!”

たったの1週間で退院…

2024年2月5日10時に退院。病院へお迎えに行く。カミさんのお世話をしてくれたインターンの看護師さんにお礼。香川出身のハタチ。娘たちより若いのに、シッカリしている。今日は、いっぱい頭を下げる。心より下げる。

何が食べたい!?とカミさんに聞くと、大丸の地下のパスタだと言うではないか!?それも、クリーム系の濃いやつ。どうやら元気だ。もう心配はないな…。

退院1週間後には、お義母さんの訃報…

2024年2月11日14時頃、カミさんのお義母さんの訃報が届く。覚悟をしていたとは言え、これまた唐突に。それも、退院してまた1週間しか経たない時に。しかし、これが手術と入院と重なっていたら、葬儀へ出ることも叶わなかった。いろいろと有難い。

結婚34年目、還暦過ぎの夫婦には、いろんな出来事が唐突に起こるようになる。何が起こっても、もう驚かないようにはできているのだが…いろいろと起こってみて、改めて、確信したことがある。

どう生きても、生きることや、死ぬことは、解決できない。
どうやっても予測できないし、絶対に、やってもくる。
結局、みんな途中で死んでいくということである。

いつ死んでもいいと言いながら、なかなか死ねないって凄いことなのである。
死にたくないと言っても、いつか唐突にやってくることにも意味がある。
 
大事なのは、この混沌に耐えてこそである。
混沌としたまま放置できる耐久力に、知性は宿るのだと思う。

“いのちとは、残された時間のこと”ではなくて…
“いのちとは、死ねないことに抗う時間”である。
“いのちとは、死に向き合いざわつく時間”のことである。