お金

大人になるには、お金がいる!

「お金0.2から2.0まで」新しい経済のルールと生き方を考える 中村 修治

大人になるには、お金がいる!

【画像出典元】「iStock.com/DragonImages」

1万円札の原価は、約20円といわれている。日本銀行の信用が残りの9980円分を担保している。日本国民のすべてが『原価20円の紙っぺらに、1万円の価値がある』と信じて生きている。いや信用というより「期待」なのかもしれない。

今回は、55歳のおっさんであるワタシ(中村修治)が、その紙っぺら1枚に翻弄されたお話をカミングアウトする。お金って何だろう!?っていうことを改めて考えるキッカケを、恥を忍んで提供してみる。

「大人になるには、お金がいる!」の巻

男だが、乳がん検査を受けることになった。
マンモグラフィーの検査では、自分のおっぱいが、マンモ向きかどうか!?がわかるらしい。空気がほどよく抜けたボールは、決して高く弾むことはないが、痛くはない。つまりはそういうこと。その痛みに耐えながら、何人かの友を癌で亡くしたことを思い出す。閉ざされた狭い移動診察車の中で挟まれているのは、おっぱいだけではない。自分の生と他者の死にサンドされている。

54歳の春、人間ドックで生まれてはじめて腫瘍マーカーなる検査を受けてみた。オプションで1万円ポッキリ。五臓六腑に腫瘍があるかどうか!?がわかる。案の定、消化器系の結果でひっかかった。腸か!?腎臓か!?胃か!?膵臓か!?肝臓か!?親父を膵臓がんで看取った身としては、少しばかり狼狽えた。その後は、3ヶ月間にわたっての精密検査の日々。詳細な検査結果が出る度に、最後通牒(つうちょう)を覚悟した。腫瘍マーカー検査でわかったことは、腫瘍の有無だけではない。我が余命への想像力である。

闘病記を残すほど立派な人生ではない。知人にお礼を言ってまわるほど厚顔でもない。家族と一緒に死期を待てるほどいい父親でもない。恋でも始めて駆け落ちするほど無責任でもない。きっと、何も起こらない、何も目立ったことのない、何にも紛らわすことのできない日常を送ることになる。何処まで行ったって、いのちの裸の現実に触れて朽ち果てていく。末期は、幻覚を見て過ごす。嫁さんや娘たちに「愛している」なんて言えるわけない。親父を見習って、ひとつ大きく息を吸って最期を迎える。

なのにだよ!?精密検査の結果は、完全なシロ!!おいおい!白日に曝されてしまったこの余命と、ワタシはどう付き合って行けばいいのだ!?

あの日、1万円でわかったことは、
天命がこれほど凡庸なものなのか?ということ。
もう決して高く弾むことはない。
もう何処にも辿り着かない。

上等なステーキのコース。
そこそこの寿司屋のおまかせ1人前。
そんなものを食う代わりに1万円でわかったことは、
自分の凡庸さだったというオチである。

お金がなくても大人にはなれるけど
お金を使ってみると大人に早くなる道は見えてくる。

衣食足りて礼節を知る。
礼節を知るためには、足るを知らなくてはいけない。
足るを知るためには、お金を使ってみるのが早い。

よって・・・
「大人になるには、お金がいる!」のである。