突然ですが!?あなたは万引きしたことがありますか!?
監修・ライター
何を唐突に聞いているのだ!?
いやいや、人間は魔が差すものである。
ワタシ(中村修治)は、いつだって罪を犯すことかも知れない“闇”を持っていると自覚している。聖人君主でもない限り、棺桶まで持っていくような小さな悪事のひとつやふたつ、誰もが持っているはずだ。
万引きの被害総額は、1日約12.6億円。
万引きは、日本で最も発生件数の多い犯罪である。経済産業省が発表した「商業統計」によれば、全国での万引き被害額は1日あたり約12億6000万円、年間では約4615億円とされている。
2020年の万引き検挙人数の総数は5万1622件。そのうち65歳以上の高齢者は2万1221件。全体の約40%を高齢者が占めるのが2010年以降の顕著な傾向である。その要因は「貧困により万引きをしてしまう」というような簡単に説明できる類のものではないのも事実ではある。
“お金”の問題だけじゃないんだよなぁ!?
“個人の闇”は!?
“個人の闇”は、社会のせいなのか!?
事件の多くは、社会的意味なんてあまりないのだと思う。例え、殺人を犯した本人を突き詰めて行っても、ろくなモノは出てこない。「個人の闇」ばかりで、そこに大きな社会的意味なんて、きっとない。犯罪を「格差社会」や「バーチャルゲーム」のせいだと、いくら理由をつけても、それは、闇の根幹ではない。
正常な人間であるなら、社会的意味を背負うほどに、無差別に他人を殺す行動への躊躇は生まれる。だから大量無差別テロには、大きなイデオロギーが必要なのだ。
「個人の闇」に、小さな物語をつけて社会のせいにする。「個人の闇」に、過剰な意味をもたせて魔女狩りをする。その「小さな物語」や「過剰な意味」で紡がれる合理性が、今を生きる「個人」の未来を明るくするものには思えない。
誰もが多かれ少なかれ抱えている「個人の闇」に、それらしい理由をつけたところで、解消されるものではない。それに社会的意味を付けたら、「個人の闇」は、全部社会のせいになる。憶測だけの無責任な犯人探しは、有害無益だ。
語り尽くせない得体の知れなさ。
販促・マーケティングの世界にも、同じようなことがある。消費者ニーズの解説や分析=意味づけが、いつもしっくりこない。賢い専門家の皆さんは、「消費者ニーズは、ある。」とおっしゃる。「消費者の行動」には、全部、物語があり、意味があると解説される。前述の犯罪評論家と同じような気持ち悪さを感じる。
ニーズ(=必要なモノ)など、そこそこ、みんな手に入って・・
マーケティングリサーチのデータは、残念ながら、過去のものだ。アンケートに答える行為自体が、過去を見る行為だ。その過去の集積から、得たいの知れない兆しを感じることができるかどうか。それが優秀なマーケッターには求められる。世の中のヒット商品の裏側には、そういう理屈では語り尽くせない得体の知れないセンスが必ずある。
水木しげる先生から学ぶ!!
ゲゲゲの鬼太郎の作者である水木しげるさんが、「人間は得体の知れないものをほっておけない。暮らしに安心をもたらす知恵として『妖怪』を編み出した」という旨の発言をされていたことを思い出す。
先人は、人智を超えた理解できぬものに、すべて名前をつけて妖怪のせいとした。それは、その事件や出来事を突き詰めて、理屈で整理してもろくなことはない。その得体の知れないものの犯人探しを止める=思考を停止するという「知恵」なのではないだろうか。
「この世には、妖怪がいる」そう感じて暮らしていたほうが犯罪の抑止になるし、コミュニティの平和も長続きする。そういう考え方が生まれたのは、長い人間の歴史の中からだ。そういう「妖怪」は、確かなフィールドワークで生み出された。
歴史もなく、ろくなフィールドワークもしてない評論家ほど、憶測で事件を判断する。机上だけで、足で情報をかき集めないマーケッターほど、ヒット商品の裏側を理論で語りたがる。犯罪の裏側にも、ヒット商品の裏側にも、顔は違うが「妖怪」がいるのだ。
何もかもに「意味」を求めた的はずれのコメントを聞くより、ニュース報道には、確かなフィールドワークを見たい。マーケッターには、妖怪=兆しを察知する確かな直感を期待したい。
「みんな賢い方がよい」という風潮は、馬鹿な事件を誘発する。「マーケッターは論理的な方がよい」という期待は、使えない戦略や商品を、巷に溢れさせるだけである。
ワタシがマーケティングの世界で喰えている理由は“個人の闇”を抱えきれているおかげだと考えている。そういう自覚もなしに、この業界に生きているというなら、いますぐ足を洗った方が良い。