フリーランス同然の私が“値切られてタカられて”辿り着いたところ。
監修・ライター
ワタシ(中村修治)が運営している会社は、有限会社ペーパーカンパニー。名前だけなら、社会を舐めていると言われても仕方ない。それでも、なんとかかんとか、この7月で30期目へと突入した。それは、値切られてタカられた30年間でもあった。ここらで、後進のために、言いにくい“お金にまつわること”を暴露しておく。
“出世払いで”などという輩の出世は、ない!!
まぁ、ビックリするくらいに我々の業界は、お金にルーズである。いちばん大きな利益は、マス広告を動かした時の、一律の仲介マージン。それに、原価があるようでないような、「人件費」であるディレクション費や企画費や制作費を積算してクライアントからお金をちょーだいするのである。媒体料とその仲介料は、基本的には、一律である。プロジェクト予算が決定した時点で、ある程度の利益が試算できる。あとは、関わる人たちの人件費をいかに確保するかである。
なんやかんや言って企画費なんて、そもそも原価がかかってないから、いつも最後である。余った利益の中から分配される。客観的に言うと、プランナーになっても、あんまりいいことないぞ!!なのである。
プランナー35年の経験から言えるのは、確かに、お金の話を早めの絶好のタイミンクでできる営業マンや経営者ほど、優秀である。さらに、そういう方々ほど、長いお付き合いをさせていただいている。金の切れ目は縁の切れ目なんて、人間として一概に言えないが…「お金のはじまりが、仕事のはじまり」であるのは、仕事の原則である。
企画書書いて提出して終わることなどザラである。2割くらいは、タダ働きである。お金の交渉などないまま終わる。その大半は「出世払いで!!」なんてことでカタがつく。出世払いをしてもらった覚えがない。いや、そういうセリフを言う輩においては、実際に、出世していない。そんなものである。笑
値切られても、タカられちゃダメ!!
企画の仕事の原価は、電気代くらいのものである。あとは、時間。ワタシが企画書を仕上げるためにパソコンに向かって要した時間とプレゼンの拘束時間の合算。それを幾らか!?と算段するものだから、正直あってないようなものである。
だから、平気で値切られる。笑
ブレゼンに負けた場合は、共犯者ではあるので仕方ないと呑む。
次こそは!!次も頼みます!!という口約束をした上での値切りには、喜んで応える。
そういう方々は、プレゼンに勝った時には、ちゃんとプラスで返ってくる。
落とし所のある“値切り”は“次の誓い”のようなものである。
タチが悪いのは「安くして」ってだけの方々である。単発の仕事に多い。次の約束もなにもない。こちらに何の得もないまま金額だけが理不尽に下げられる。所詮、そういうことだったのだとこちらも応える。案の定、二度と仕事はない。企画をたて、企画書を書くという労働時間をタカられただけの話である。怒らない。愚痴も言わない。
ワタシはこの仕事で“一生を棒に振りました”!!
プランナーなんて詐欺師のような無責任な仕事である。売っているものは、うまいこと言っている企画書とうまいこと丸め込もうとしている時間である。その時間を何万円、何十万円という“お金”に変えている。このコラムだってそうだ。好きなことを書いてお金をいただいている。命を賭けてやるようなものでもない。命懸けの企画なんて重くて、面白くもない。だからこそ、値切られもするしタカられもする。取りっぱぐれも数えきれない。
それでも続けられているのは、それでもなお“お金”を出してでもつきあってくださる企業があるから。還暦までの人生の大半をこの仕事に居座らせてもらった希少な関係が途切れることはなかったからである。要は「ワタシの時間を買ってくれ」ってことで「そんなら買ってやろう」という伊達と酔狂のある社長さんたちとの関係が築けただけ。
だから、失礼のないように言うことにしている。
“ワタシはこの仕事で一生を棒に振りました”と。
いつか天が味方してくれるのが“天職”であると。