「早期退職と沖縄移住を実現した話」パラレルインカム・ストーリー#5
監修・ライター
一度しかない人生。“自分らしく”“豊かに”“自由に”生きたいと思いませんか?
この講座「『パラレルインカム』のはじめ方」では、そうした生き方の実現方法を、身近な生活のお金や会計、経済、資産運用などに関して幅広い見識を持つ「ファイナンシャルアカデミー」の代表・泉正人先生が、わかりやすくレクチャーします。
また3講座が終了するごとに、このメソッドを実践し、自分らしい生き方を手に入れた6名の「パラレルインカム・ストーリー」も紹介。
今、話題の「FIRE」の先をゆく新しいメソッド「パラレルインカム」。みなさんもぜひ、このメソッドを活用して、自由で豊かな人生を自らつくってみませんか?
沖縄に移住しライフワークを見つけたK・Fさんの話
今回は、僕が運営するファイナンシャルアカデミーの受講生で、実際にパラレルインカムを実現している人に話を聞く、「パラレルインカム・ストーリー」の回。
これまで登場してくださった4名の方も、皆さん素晴らしい生き方を選択されていましたよね。今回はどんな方ですか?
外資系企業に32年間勤務したバリキャリ女性で、40代から不動産投資をスタート。その後経済的自由を得て、早期退職と沖縄移住を同時に叶えた方だよ。現在は沖縄でスローライフを楽しむ一方、地域貢献というライフワークにも取り組んでいるんだ。
沖縄でのスローライフ、憧れます。それではよろしくお願いいたします!
きっかけは、1年生の営業マン
1978年、私はアメリカ資本の企業に、当初は秘書として就職しました。初任給は10万円で、初年度の年収は200万円ほどだったかと思います。都心の自宅マンションには「寝に帰るだけ」のハードな毎日を送り、長い管理職時代を含め32年間にわたって勤務してきました。
グローバル企業での仕事は、ダイナミズムとダイバーシティの両方を兼ね備え、まさにチャレンジング(挑戦的・やりがいのあるもの)で、魅力的なものでした。マーケティングの実務以外に、アメリカのビジネススクールで学ぶ機会を得たり、人財育成に携わったりと、幅広い経験を積むことができました。
性差別なども一切なく、退職時には2,000万円ほどの年収、相応の収入もいただいていたので、恵まれた環境に感謝していました。
30代後半のある日、会議中に受付から「〇〇住宅の方がお見えです」との連絡がありました。アポはなく、なぜか私の名前を知って訪問してきたのです。普通ならお引き取りいただくところですが、その日はたまたま土砂降りの雨。門前払いではあまりに気の毒と思い、5分だけ面会することにしました。
受付に出向くと、そこにはずぶ濡れの営業マン1年生が立っていて、明らかに人と接するのに不慣れな様子でオドオドしています。
彼は唐突に、「マンションを買ってください。今日、1軒売らないと社に帰れないんです」と言い出しました。当然断るべきなのに、その営業マンがとても気の毒に思え、マンションを購入する約束をしてしまったのです。
あとで冷静になると不安にもなりましたが、後日丁寧な説明を受け、購入を決意しました。結果的にその浜松町のワンルームマンションは一度も空室にならず、安定的な収入を得ることができたのです。ひとえに「その営業マンを元気にしたかった」。これが私の不動産投資のきっかけです。
投資の学びを深め、沖縄移住を実現
40歳前後からは、マーケティング実務の経験や、ビジネススクールで得た知識を次世代に共有したいと思うようになり、戦略的企画を練る仕事よりも、次世代教育に興味がシフトしていきました。
大都会の生活で呼吸が浅くなった自分に気づき、真剣に移住先を検討するようになったのもちょうどその頃だと思います。欲していたのは、自然に囲まれた環境と暮らしです。
ただ、移住を実現するには、自分の強みを活かした新たなビジネスモデルと経済基盤を再構築する必要があります。そこであらためて不動産投資を加速させることを決意し、今度は不動産投資の細部まで理論を習いました。不動産投資の魅力は、何といってもその安定性と、手間がかからないことです。通帳を確認するだけで、すべて管理会社が代行してくれるので、私のように当時、多忙を極める人間には最適だったと思います。
都心にワンルームマンションを5つ、沖縄に4LDKと一棟マンション、海外のコンドミニアムマンション、30台の駐車場、カナダの土地などを所有しました。そこから得られる収入があったことで、安心して移住を決断することができたのです。
当時、移住先の候補は海外を含め6か所ありました。沖縄のビーチ、札幌の豊平川沿い、北陸の鶴仙渓、高知の四万十川のほとり、イギリスのレイク地方とオーストラリアのパースで、いずれも湖や川、海など水辺に近いという共通点があります。私は「水派」なので、水を見ると幸福感に包まれ、集中力も出てきます。
ただ、殺処分寸前だった病傷犬とシニア犬を保護しているので、海外は検疫上断念。国内の中から最終的には温暖な気候の沖縄を選択しました。早期退職と移住を同時に実現させたのは、本格的に投資を始めてから5年後、55歳のときです。
次世代育成に力を入れつつ、終活も開始
沖縄での暮らしで、私自身の幸福度スコアは格段に上がりました。大自然に囲まれ、温暖な気候で過ごしやすく、わずかなことで神経をとがらせない県民性には、「人間回帰」とでもいうのでしょうか、学ぶところが多々あります。カナダの都市経済学者であるリチャード・フロリダが「住む場所の選択こそ、幸福になるための重大要素」と述べていますが、それが見事に的中しました。
今は保護犬5頭と暮らしていますが、長年の帯のようなTO DOリストから解放され、好きな仕事・研究ができ、犬たちとのビーチ散歩に集中できる時間こそが至福の時です。
仕事に関しては、沖縄と東京の大学で教鞭を執り、企業研修やコンサルなどを引き受けるポートフォリオ・ワーカーです。特にコロナ禍以降はリモートワークが普及したことで出張も減り、沖縄での仕事がますますやりやすくなりました。
仕事は「お金のため」ではなく、「情熱を傾けられるか+強みを生かせるか」という観点で選択できています。住まわせていただいている沖縄に微力ながら貢献したいとの想いで、無償で沖縄県内の大学の講座を引き受けているのも、私自身の自由な選択です。
ちなみに、私が提供する次世代育成講座には「お金のパート」が必ず含まれていますが、これは若いうちからファイナンシャル・リテラシーを鍛えておくことが極めて重要だと考えるからです。教え子の中には、20代で4つのマンションオーナーになったという行動派もいて、今や投資家となった教え子たちからは感謝の嵐です(笑)。
退職後に一時、年収は減りましたが、不動産や企業研修などで少しずつ上げていき、今は管理職時代くらいは確保できています。私にはバリバリの投資家志向はありませんし、自分への贅沢にもまったく興味がありませんから、身分相応の暮らしができれば十分幸せでいられます。
生活費以外にお金を使うことといえば、母への仕送り、病傷犬の医療費、沖縄の大学生のための「人生の門出スーツ」購入などでしょうか。沖縄は物価が安く、シンプルな暮らしを楽しめますから、今は世界の貧困撲減・動物愛護・環境保護などの複数の活動団体に、わずかながら寄付できています。「どう稼ぐか以上に、どう使うかが、その人間の社会的価値を決める」という言葉も、自分を律する好きな言葉のひとつです。
今、67歳ですから、この先の不動産投資は拡大を目指すのではなく、むしろ手放していきます。不動産は預貯金と違って、相続税額が低く抑えられるのも魅力です。
スタートを切った「20年間のポジティブ終活」では、まず沖縄に加えて移住候補地のNo.2だった札幌に拠点を持ち、全国を保護犬と旅しながら手放すものは未練なく手放す。好きな次世代育成講座をリモートで続けながら、人生を静かに畳んでいく。そんな残りの人生を楽しみはじめています。
~「早期退職と沖縄移住を実現した話」パラレルインカム・ストーリー#5 終~
次回は、「資産所得をつくるために、不動産投資が効率的な理由とは?」について学んでいきます。お楽しみに!