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お金がなくても高級な鮨屋のカウンターへ通うべき理由とは!?

「お金0.2から2.0まで」新しい経済のルールと生き方を考える 中村 修治

お金がなくても高級な鮨屋のカウンターへ通うべき理由とは!?

【画像出典元】「Artit Wongpradur-shutterstock.com」

ワタシ(中村修治)は、高級鮨屋のカウンターで舌鼓を打つのが至極の幸せである。お金がなくてもだ…借金しない程度で行けるなら、行く。死ぬ前に何が食べたいと問われたら一択だ。いちばん馴染みの鮨屋の親方が握る車海老の一貫である。

車海老の鮨

フリーランス同然のワタシは、無理してでも鮨屋のカウンターに通い続けている。なんなら奢り続けてもいる。たかーいお金を払うのだから、美味いのは、当然である。しかし、プランナーを30年以上もやってこられた極意みたいなものを鮨屋のカウンターで見つけている。古典落語の寄席と同様。高級な鮨屋のカウンターでは学べることがある。

コンサート型か!?プレゼン型か!?

高級な鮨屋には、大きく2つのタイプがある。予約時に、時間を指定される。決まった時刻に、一斉のスタート。親方のパフォーマンスと出されるものを時間内で堪能する。1(親方)対n(大勢のお客様)の型。セットリストが決まっている有名アーティストのコンサートと同じ。その一体化された空間と時間を楽しむもの。当然に、美味い。与えられる情報は、一方のみ。
個人的にこの手の鮨屋が苦手である。口だけではなく、目から、耳から、いろんな情報が入ってくる。一度、体験したいと思って挑戦はするが、どうもこの手の鮨屋をリピートすることはない。

手の上の鮨

プランナーとして学べることが多いのは「プレゼン型」の鮨屋の方。お客さまの間合いに合わせて、ひとつひとつ出していく。左利きの人には、左手で取りやすいように寿司台を使う。シャリの大きさも、お客さまの食するスピードとお酒の進み具合に合わせる。誰との会食で来店しているかにも心遣いをする。お客さま同士の会話の盛り上がりや内容に合わせた絶妙のタイミングで〆のギョク(玉子)へとストーリーが展開する。

これは、まさしく1(親方)対1(お客様としての個人)のプレゼンのようなものである。ワタシ個人の反応が、次に出される鮨の具合を変えていく。互いの緊張関係が続くという意味において、これこそが至極である。社長に向けた1対1のプレゼンの醍醐味と同じ。ふたりだけの空間と時間が、そこに出来上がる。たまらない。それを求めて、何十年もプランナーをやっているし、高級鮨屋にも通っている。

厨房が丸見えであるということは!?

高級鮨屋さんの対面カウンターに座るということは、親方の包丁さばきや握りの技法を目の当たりにすることになる。白木のカウンター。その向こうにある包丁の類。何が何処に配置されているか!?その手入れ具合や年季の入り方などを目の当たりにすることになる。

良い鮨屋ほど、店内の装飾は洗練されていて、余計な情報がない。職人としての生き様が丸見えになっているのが鮨屋の空間。そこに入店するには、客であるワタシの方もそこそこの緊張感が必要で、いろいろと大将から見透かされるであろう恐怖を抱く必要もある。ちゃんと自省をするという意味においても高級鮨屋のカウンターには挑むべきなのである。

お皿に乗った鮨

また会いたいと思えるのか!?

高級鮨屋でお支払いをする時は、それなりの覚悟がいる。お決まりのコースには、一応、目安の価格はあるが…お酒については、値段がついていないところも多い。提示された額を、文句も言わずに支払うのがマナー。いつもエイやっ!!て払う。笑

でも潔く払う時には、こちらも、いつも考えている。このお店に、次も来るか!?どうか!?誰かを連れて来たくなるか!?どうか!?この親方とまた会いたいか!?そんなことをジャッジしながらカードを切っている。文句も言わないけど、2度と行かない。見切る。というのも高級鮨屋での体験では重要なことである。1(親方)対1(お客様としての個人)のプレゼンを受けても、結果的に、次がないものはない。これは、相性である。まったくもって仕事と同じ。

お皿に乗った鮨2

若い人たちに鮨を奢るということは!?

高い鮨は、若い人たちに奢る。年上とは、絶対に行かない。カウンターに座ることが是。できることなら親方の手元がよく見える席で。別に、難しい話はしない。なんならコンプライアンス違反な下ネタも、出禁にならない程度でこっそりぶちかます。鮨屋の御作法なんて気にするなと伝える。
素直であれ。
真面目であれ。
勇気を持て。
鮨屋のカウンターは、難しい話をするところではない。
生身で良き。
次も会いたい人になれるか!?どうか!?である。
お互いが、
選び、
選ばれているというリアルをお金で知ることで十分だ!!