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おふくろの家族葬にかかった150万円の費用対効果とは!?

「お金0.2から2.0まで」新しい経済のルールと生き方を考える 中村 修治

おふくろの家族葬にかかった150万円の費用対効果とは!?

【画像出典元】「naka/stock.adobe.com」

2025年7月24日の朝、齢90歳のおふくろが天に召された。旦那を70歳で看取り、89歳でふたりのひ孫の誕生まで待って。順番通りの大往生。こりゃあ天晴れな人生だったと、陽気に家族だけで見送った。横浜で執り行った“家族葬”の経費は、〆て150万円強。想像以上の経費だったのだが、いろいろと思うところがあった。親とは、最後の最期にも、こういう学びを与えてくれる。家族葬150万円の費用対効果を、長男であり喪主でもあったワタシ(中村修治)が後世に伝えてみる。

「ゼロ葬」「直葬」「家族葬」

ここ数年、葬儀は年々コンパクトになり、形式や儀礼は削ぎ落とされつつある。時間もお金もかけない葬儀が、合理的でスマートだと言われる時代となった。2015年は58.9%だった「昔ながらの葬儀」も、2024年には30.1%に縮小し、家族葬や直葬が中心に。平均参列者数はわずか38名、平均費用も118万円と、大きな変化を迎えている。
引用:いい葬儀

葬儀社との最初の打ち合わせで迫られたのが「直葬」か!?「家族葬」か!?の形式の選択。「直葬」とは、通夜や告別式などの儀式を省略し、火葬のみを行う葬儀形式のこと。別名は、火葬式。近頃は「ゼロ葬」という形式もある。「ゼロ葬」とは、火葬後に遺骨を火葬場から持ち帰らず、そのまま火葬場で引き取ってもらう葬送方法。遺骨の処理に困るくらいなら、死んだらゼロにしちゃえということである。

おふくろがいつも仏壇の前で手を合わせていたのを知っている。お墓参りも欠かさなかった。その背中が目に焼き付いているので、告別式をしっかりとやる「家族葬」を選択。告別式をやることで費用は倍近くに加算される。それでもなお、告別式には、こだわった。お盆やお正月には、おふくろの背中を見ながら家族全員で仏壇に手を合わせた。あの時間を、最期に再現してやりたかった。

仏壇の前に座る男性

“倶会一処”ということの腹落ち

葬儀は誰のためにあるのか!?
おふくろのためではない。
遺された家族全員のためである。

孫を抱いて参列してくれた娘と義理の息子。
ばあちゃんのところに一人で泊まりにも行ってくれた次女。
姉貴夫妻と姪たち。
最期まで心を通わせてくれた従兄弟たち。
家族全員が納得すればいいのである。
こんな場と時間にこそ、唯一無二の価値がある。
おふくろが生きて、残そうとしてきた実態である。

カミさんと次女の背中を追う

横浜の葬儀場までの道のり。カミさんと次女の背中を追う。『仏説阿弥陀経』には「倶(とも)に一つの処(ところ)で会(あ)う」というご文(もん)がある。別れて暮らしていても一処で会う。最期は、みんな一処。おふくろは、死をもってそんなことを教えてくれたのだと思う。

合理化が進む社会では、この“区切り”の場がどんどん削られている。しかし、人間関係の整理や感情の消化は、効率やコストだけで測れるものではない。お金をかけてでも葬儀をやる役割は、改めて‟家族を整える”ということなのだろうと腹に落ちた。

煙ひとつ出ない火葬場にて

天に昇っていくおふくろを見守ろうとしたが、近ごろの火葬場は技術が進化。ひと筋の煙も出ない。グィーンという着火音もしない。真っ青な夏空の下で骨と皮のおふくろは、静かに灰となるだけだった。

火葬場

葬儀にお金をかけるのは、見せるためではない。
自分と家族への未来のギフトである。

このギフト代金である150万円。
その費用対効果は、
残念ながら、
生きているワタシには、わからない。
その答えは、ワタシが死んだ時に、家族が証明してくれるのだと思う。