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ご祝儀の相場!?に巣食う“任意の強制”という日本の病理。

「お金0.2から2.0まで」新しい経済のルールと生き方を考える 中村 修治

ご祝儀の相場!?に巣食う“任意の強制”という日本の病理。

【画像出典元】「stock.adobe.com/ラト」

「ご祝儀の相場は、友人や同僚には3万円を基本とします」「兄弟などの親族には8万円が相場」・・・この相場とは何!?とワタシ(中村修治)は、思うわけですよ。未だにマスクを外せない日本人に、そろそろ声を大にして言いたい!!炎上しない程度にね。

募金という“任意の強制”。

福岡の街頭では、お隣の熊本で令和2年に起きた豪雨災害支援のために、多くの募金活動が行われている。その行動力に、素直に頭が下がる。できる限りの支援もさせていただく。

しかし、その「大きな声」は、なんとかならないのか!?その圧力は「任意を装った強制」になっていないか!?未成年者を募金の主として街頭に立たせるのは真っ当か!?任意なら、もっと静かにやろうよ。

例えばだよ・・・小学校で募金を集めるときに「ひとり200円まで」と言われたら、大概の親は、200円を持たせるだろう!?子どもが恥をかく、いじめに合うかも!?と思ったら、定められた相場に、意を任せるというものだ。

「自分が損をしているのだから、お前も損をすべきだ」・・・そんな心理から引き起こされる行動を「スパイト(意地悪)行動」と呼ぶそうである。“こちらは200円持たせているのに、お隣の●●ちゃん家は、50円なの!?信じられない!!”みたいな意地悪な気持ちが“任意の強制”の根っこである。ご祝儀の相場なんていうのも、このスパイト行動のひとつなんじゃねぇのか!?

ベルマーク運動という“任意の強制”。

“善意が生んだナゾの活動”の代表選手とも言えるのが「ベルマーク」運動である。大事なPTA活動の何割を占めているのか!?良いことをやっているという事実をつくるだけで、どうやらムダのかたまりのようである。

「ベルマークの仕分け、仕事休んで参加」「かかる手間に対して、効果が小さすぎ」「非常に昭和でアナログなシステム」あのちっちゃなシールを切り取るのも手作業。ベルマークは1種類ではない。その仕分けをするのも手作業。点数を計算するのも手作業。

ちなみに、全学校の約6割がベルマーク運動に参加。年間に集まるベルマーク点数は、約4~5億点。1点が1円の換算なので、約4~5億円の買い物が実行されている。ここから教育設備助成費として80%が各PTA口座へ支払われ、へき地や被災地の学校支援に使われる額は、その10%の4000~5000万円。ベルマーク財団には、約1億~1.5億円の運営資金が残るという構造である。
参考:ベルマーク運動

熊本地震の際には、熊本県PTA連合会から連絡をうけたベルマーク財団は、益城町と阿蘇市の中学生にむけて栄養補助食品1万7500食(1750人×10食分)の費用300万円を緊急に支援したというニュースもある。確かに、その資金は、活用されている。

しかし、これらの収益には、ぜーんぶPTAの皆さんの貴重な時間が使われている。その労働力に見あう報酬など出るわけもない。PTAに入った時点で自動的に付加される“任意の強制”なわけである。

“私もベルマーク集めて集計しているんだから、お隣の●●ちゃん家が手伝ったくれないのは許せない!!”みたいな意地悪な気持ちがPTAの活動に蔓延ってはいないか!?

“任意の強制”という日本の病理。

集団主義的傾向が高い国ほどうつ病の出現率や不安傾向が高いという。遺伝的に不安定傾向が高いのを緩和するために集団主義は形成されていくわけだ。

善意から生まれる悪意。正義という同調。居酒屋のアクリル板。会議中のマスク。“任意を装った強制”によって動く市場がある。儲ける人がいる。

前例主義なだけの“相場”とか。
海水浴場でも外せない“同調圧力マスク”とか
そろそろ、もう要らないって宣言しましょうよっ!!

でも、しかし・・・ドライブ中も律儀にマスクをしているカミさんに、こんなハナシはできない。コラムにするだけで終わる。家庭という同調圧力に飲み込まれている。

ワタシの中の日本人の遺伝子が、
善意を装う。
家庭という相場に従う。
“任意”ってなんなんだ!?